Yours are the sweetest eyes
    I've ever seen.
   エルトン・ジョン 「ユア・ソング」より
 

 動画を適当に観ていたら猫の動画が出てきて、何気なく観る。それによると、猫は死ぬ直前にどんなに弱っていても最後の力を振り絞って飼い主に感謝を伝えに来る、という事だった。
  
 それで、まだまだ先だと信じたいが、うちの子もいつかは虹の橋を渡るという事を少し考えてしまった。

 それは必ず訪れる、仕方の無い事ではあるのだが、ある日突然、ただいまのお出迎え、トイレ、お風呂の出待ち、一緒に遊ぶ楽しみ、側で一緒に眠ってくれる充足感、噛み噛み、蹴り蹴り、ブラッシングなどが、無くなってしまうのだ。果たして自分にそれが耐えられるか、極めて疑問である。変な話、重度のペットロスで廃人みたいになってしまってもおかしくないと思っているのだ。

 また、それ以外で私が心配しているのは、一人暮らしで飼っている関係上、お留守番の時にお別れになってしまうのではないかという事だ。自分の子が誰にも看取られずに息を引き取ってしまう、それだけはなんとしてでも避けたいと思っている。

 なので、それは寿命か病気かは分からないけど、仮に、獣医さんから「余命宣告」みたいなものを受けたとして、ある程度「その時」が解るのならば、出来たら私は最後の1週間位は仕事を休んで側に居てあげたいと思うのだ。当然、職場にすごい迷惑を掛けてしまう訳で、そういう事は社会通念上許されないかもしれないが、私としては自分の子供を誰もいない部屋で、たった独りで死なせたくないのだ。
 うちの子を看取れなかった罪悪感に一生苦しめられる位なら、会社に迷惑を掛けた方が良いと本気で考えているのだが、その考えは甘いだろうか?

 最期の時は側にいて、「怖くないよ、大丈夫だよ、もうすぐパパもそっち行くから待っててね。また向こうで一緒に遊んだりしような。また一緒にいつまでも暮らそうな」と言って、死の恐怖を少しでも和らげてあげたいのだ。

 彼女の為の歌もある。あるメロディーに私が勝手に詞を付けただけのものだが、それはうちの子への「Your Song」であり、彼女を迎え入れた子猫の時から、撫でてる時、抱っこしてる時、いろんな時にいつも歌ってきた歌だ。その歌も側で歌い続けよう。そうすれば彼女も、少しは安らげるかもしれないからだ。

 そして、荼毘に付して、遺骨は手元に置いておくのだ。


 なんて事を考えてたら、普段あんまり構って無いくせに目から汗が出てきたぞ。
 仕方ない、今日はいつもよりちょっと多目に遊んであげて、ちゅ~るでご機嫌取りもしておくかな(笑)