以前、「毒親」というタイトルで書いたが、私の母親の事をもう少し触れておきたい。

 私の母親は、恐らく何らかの精神疾患を抱えていたのだと思う。
 彼女はよく、なんの前触れも無く突然にブチ切れて、金切り声を上げて、布団叩きを振り回していたものだった。
 手加減なんてあったもんじゃないから、あざとかミミズ腫れとかよく出来ていた。

 食事中に、父親が湯呑みで飲んでいた焼酎のお湯割りを、顔にぶっかけられた事もある。
 父親はいつも見て見ぬふりをしていた。

 上機嫌と不機嫌のギャップが大き過ぎるし、突然にそれが切り替わるので、子供心にいつも緊張してたと思う。
 今でも対人関係に不安があるのは、そのためだろう。

 夫婦仲も最悪で、夜中に夫婦喧嘩で起こされる事も、日常茶飯事だった。
 なんか、母親が昔の事を蒸し返して、父親を責めるっていうのが、お決まりのパターンだった。

 人工中絶させられた、とか、
 結婚の挨拶に父親の実家に行った時に、粗末な茶菓子を振る舞われて、出されたお茶が出涸らしだった、とか
 あなたの実家は貧乏で、まるで乞食小屋だ、とか
 父親の母が、子育て中の事故で他の子を亡くしてるのを、それは事故ではなく人殺しで、あなたは人殺しの息子だ、とか

 まぁ、そういうレパートリーがあって、父親も途中までは無視してるんだけど、いつも、人殺しの息子、ってところで切れるのが、お約束だった。

 父親は切れると、あちこちの電球を外して回って家中を暗くさせたり、当時母親が入信していたキリスト教の聖書や賛美歌の本などを破っていた。 
 母親も金切り声を上げて、ホースから水を掛けたり、父親の好きな酒を流しに捨てたりして、応戦するのだ。
 そういう喧嘩を2DKの間取りでやるもんだから、子供達は一部始終を見てしまう訳だ。
 狭い家の中で、まだ若かった両親が躍動していたものだ。

 こうやって書いたの見ると、もうめちゃくちゃだけど、子供の頃はそれが普通だと思っていたのだ。

 そういう夫婦喧嘩を週に2回位はやってたんじゃないかな?

 まぁ、自分で言うのも変だけど、よくグレなかったと思う。

 ついでに言うと、彼女はものすごい学歴コンプレックスの持ち主で、他人の学歴に敏感に反応していた。
 上だと思えば褒め、下だと思えば言いたい放題言っていた。
 職業差別も酷かったなぁ。

 自分が高卒だからか、息子の私には

 男なら最低でも京都大学くらい出ないと駄目だ、とか訳の分からない事をよく言っていたものだ。

 そのくせ塾や予備校には行かせてくれず、教育費はケチっていた。
 それでも田舎の偏差値55くらいの県立高校から独学で、京都大学には遠く及ばないけど、それなりの私立大学に現役合格した。
 
 今になって思うと、あんな無理な勉強を続けられたのは、心のどっかで母親に認めて貰いたいという気持ちが、あったからなのかもしれない。

 こんな母親に育てられ、醜い夫婦喧嘩を見せられなどしたのが、私が女性と上手く関係を築けない理由なのかもしれない。

 この歳で、親のせいにはしたくない。

 したくないけど、さすがに無関係ではないだろう(笑)