【001_101013】アルベルト・グラナドス(前編)
今回ご紹介するのは、若き日のチェ・ゲバラと共に南米をバイクで旅したアルベルト・グラナドスという人物です。「モーターサイクルダイアリーズ」という映画(本にもなっていますね)を御覧になった方は、”兄貴分で口の達者な”という分かりやすいアルベルトのイメージがあるのではないでしょうか。その彼が実際はどんな人物だったのかを少し掘り下げてご紹介していきます。
二人の出会いは当時ゲバラがまだ15歳のとき。アルベルトは21歳の大学生で弟のトーマスがゲバラと同級生だったことがそのキッカケでした。断続的に続いていた喘息の発作と付き合いながらあえてラグビーやサッカーなどの激しいスポーツを好んだゲバラは、アルゼンチンでは珍しい無宗教の学校(国立:ディーン・フネス学院)に在学。一方アルベルトは民主的とされていたコルドバ大学に在学。アルゼンチン国内では当時軍事クーデターが続いており、アルベルトらは学生運動を起こしファシストのペロン(後に政権をとる)に対し大学でストを敢行。校舎を占拠し抵抗するが逮捕されます。自らの自由の敗北に打ちひしがれていた…そんな折に、後に”チェ”と呼ばれるエルネスト・ゲバラに出会うのです。
出会ってから四年後、ゲバラの方はブエノス・アイレス大学の医学部へ進学。勉強・スポーツ・アルバイト・そして6400キロに渡るアルゼンチンの草原地帯の走破も達成します。この時に跨ったのが「強力号(ポテローザ)」です。実はアルベルトとゲバラは出会った当初から「旅」の話をしていたのですが、お互いに若かったり、アルベルトの方は途中から医師として働き始めてしまった事もあり、旅の実現までは出会いから「8年」かかっています。その8年が経過した1951年。ついにアルベルトのほうから南米大陸~北米を目指す旅を提案。ゲバラは二つ返事でその話に乗ります。アルベルト29歳、ゲバラ23歳。こうして、1951年12月29日、モーターサイクルダイアリーズの”あの旅”が始まったのでした。
7ヶ月に及んだ旅は、二人の青年に”先住民に対する差別””米人経営者による搾取や抑圧”など当時の「南米の現実」を見せつけました。その中で最初は単なる”旅人”だった二人は、お互いに「自身の歩むべき道」を探し始めます。
キューバ解放の父、ホセ・マルティが「ラテンアメリカの主人公は道端の人々である」と言ったように。
ラテンアメリカ独立の指導者シモン・ボリーバルが「南米大陸諸国の国境というものは、人権を尊重し、平和を求め、圧制や不正に立ち向かう者たちにとって何の障害にもならない」と言ったように。
彼らはそれを心で感じ、体で受け止め、自らの道を選択し始めていたのです。年が明けた7月17日。旅の終着地カラカス(ベネズエラ首都)に着いた際、アルベルトは道を探し始めたものの、今ひとつ決め切れていないゲバラに「一度家に帰り医者になるように」とアドバイスをします。そしてアルベルト自身は既に医者だったこともあり、カラカスの大学を訪ね、自身の職を探します。当時圧倒的に医者が不足していたのは勿論ですが、何よりペロンが政権を握るアルゼンチンにそもそも帰る気が無かった…というのが大きかったようです。約10日間のうちに考え、ゲバラは帰国を決意。1952年7月26日、こうして二人の旅は終わりを迎えました。
ゲバラがカストロと共にキューバ革命を成功させるのは、7年後の1959年1月のことになります。
そしてアルベルトとゲバラの再会も…。
というわけで続きはまたの機会に。
参考文献「モーターサイクル旅行記」「ゲバラ最期の時」「チェ・ゲバラ伝」
二人の出会いは当時ゲバラがまだ15歳のとき。アルベルトは21歳の大学生で弟のトーマスがゲバラと同級生だったことがそのキッカケでした。断続的に続いていた喘息の発作と付き合いながらあえてラグビーやサッカーなどの激しいスポーツを好んだゲバラは、アルゼンチンでは珍しい無宗教の学校(国立:ディーン・フネス学院)に在学。一方アルベルトは民主的とされていたコルドバ大学に在学。アルゼンチン国内では当時軍事クーデターが続いており、アルベルトらは学生運動を起こしファシストのペロン(後に政権をとる)に対し大学でストを敢行。校舎を占拠し抵抗するが逮捕されます。自らの自由の敗北に打ちひしがれていた…そんな折に、後に”チェ”と呼ばれるエルネスト・ゲバラに出会うのです。
出会ってから四年後、ゲバラの方はブエノス・アイレス大学の医学部へ進学。勉強・スポーツ・アルバイト・そして6400キロに渡るアルゼンチンの草原地帯の走破も達成します。この時に跨ったのが「強力号(ポテローザ)」です。実はアルベルトとゲバラは出会った当初から「旅」の話をしていたのですが、お互いに若かったり、アルベルトの方は途中から医師として働き始めてしまった事もあり、旅の実現までは出会いから「8年」かかっています。その8年が経過した1951年。ついにアルベルトのほうから南米大陸~北米を目指す旅を提案。ゲバラは二つ返事でその話に乗ります。アルベルト29歳、ゲバラ23歳。こうして、1951年12月29日、モーターサイクルダイアリーズの”あの旅”が始まったのでした。
7ヶ月に及んだ旅は、二人の青年に”先住民に対する差別””米人経営者による搾取や抑圧”など当時の「南米の現実」を見せつけました。その中で最初は単なる”旅人”だった二人は、お互いに「自身の歩むべき道」を探し始めます。
キューバ解放の父、ホセ・マルティが「ラテンアメリカの主人公は道端の人々である」と言ったように。
ラテンアメリカ独立の指導者シモン・ボリーバルが「南米大陸諸国の国境というものは、人権を尊重し、平和を求め、圧制や不正に立ち向かう者たちにとって何の障害にもならない」と言ったように。
彼らはそれを心で感じ、体で受け止め、自らの道を選択し始めていたのです。年が明けた7月17日。旅の終着地カラカス(ベネズエラ首都)に着いた際、アルベルトは道を探し始めたものの、今ひとつ決め切れていないゲバラに「一度家に帰り医者になるように」とアドバイスをします。そしてアルベルト自身は既に医者だったこともあり、カラカスの大学を訪ね、自身の職を探します。当時圧倒的に医者が不足していたのは勿論ですが、何よりペロンが政権を握るアルゼンチンにそもそも帰る気が無かった…というのが大きかったようです。約10日間のうちに考え、ゲバラは帰国を決意。1952年7月26日、こうして二人の旅は終わりを迎えました。
ゲバラがカストロと共にキューバ革命を成功させるのは、7年後の1959年1月のことになります。
そしてアルベルトとゲバラの再会も…。
というわけで続きはまたの機会に。
参考文献「モーターサイクル旅行記」「ゲバラ最期の時」「チェ・ゲバラ伝」