ある日、突然、隣国の軍隊が攻めてきて、昨日まで普通に存在した日常が一気に破壊されるーー。自分に「非」があれば、どこかで「あいつを怒らせたかな」と腹落ちもするだろうが。。。ウクライナの話だ。

 

 

ウクライナの人から見れば、自分たちの国の行く末を、自分たちで選ぼうとしたら隣の国から戦争を仕掛けられたーー。こんなことはあまりに理不尽だろう。

 

 

一般のロシア人も「兄弟国」に攻め入り、そこに住む無辜な人たちを殺し、街を蹂躙することを望んでいるとは思えない。まさに「プーチンの戦争」。どうすればこの狂った現状を、狂った「男」を止められるのだろうか。。。妙案はないものかと馬鹿なりに考えてみるが、もちろん世界中の識者に分からないものが、日本のしがないおっさんに思いつく訳もなく。。。

 

 

この1か月以上、避難民の涙を見たり、病院に運ばれた子どもが心臓マッサージを受けたりする映像を見ているうちに、言ってみれば「ウクライナ鬱(うつ)」のような状態に陥っている自分がいる。

 

 

大声で笑うのも、買い物するのも、美味しいものを食べるのも、あの国の人に悪いかなと、気が引けてしまうのだ。次第にテレビを見たくなくなっている。現実を直視しなくてはならないことはわかっているが、首自体がテレビの方にひねることを拒んでいるかのようだ。

 

 

かつて、マザーテレサが訪日した時のこと。インドでの活動の拠点としていたカルカッタ(コルカタ)の「死を待つ人々の家」でボランティアをしたいと嘆願する女子大生に対し「あなたはあなたがいる場所で、あなたのカルカッタを探しなさい」と言ったという。大切なことは、自分が置かれた場所で、自分ができることをすることだ、というわけだ。

 

 

ウクライナに行って現地で何か貢献できれば、それは素晴らしいことだ。だが、実際は難しい。であれば、遠いウクライナに対して自分ができることは何か。直接、ウクライナに貢献できないかもしれないが、もしかしたらウクライナのようなことが二度と国際社会で起きないために何かすべきことが、日本のこの地にあるのかもしれない。

 

 

だから、今日も気が乗らないけど、テレビのスイッチを入れて、ニュースを見て、ウクライナで何が起きているかをこの両眼で見る。目を背けない。そして忘れない。