簡単な荷物を持ち、すぐに家を出ました。
もちろんエレベーターは停止していたので、階段でおりました。
途中、外壁の一部が崩れ落ちていたり、室外機がぶら下がっていたりと、ところどころで地震の被害が見受けられましたが、家の中に比べたらたいした事ないな、そういう印象を受けました。
車に乗り、義実家に向かう途中も、街は暗く、お店も閉まっていて普通ではない風景が漂っていました。
けれど、その時も、津波で膨大な被害が起きている事、東日本がこんな事態になっている事など、全く知りませんでした。
義実家に着き、義両親の顔を見て、旦那さんの話で、義両親が無事という話は聞いていたけど、安堵で涙が出ました。
義実家も、もちろん停電しており、真っ暗。
懐中電灯とろうそくの光がほそぼそと手元を灯していました。
でも、水道は止まっておらず、
石油ストーブで暖も取れ、
ガスボンベで料理も作れていたので、温かいご飯を食べる事も出来ました。
義両親は30年ほど前の宮城県沖地震を経験しているので、すごく冷静、そして知恵がありました。
家も地震があったとは思えないほど、キレイに片付いていたので、食器など壊れなかったのかと尋ねたら、
「たくさんダメになったよー。でも、停電と分かっていたから、暗くなる前に危ない物は一番に片づけたんだよ」そう教えてくれました。
そして、地震直後はガスも使えたらしく、野菜炒めも作っていました。
さらには、水道がいつ止まるか分からないからとお風呂にも水を貯め、置き水も。
私なんて「怖い怖い。」そうあたふたするだけで、なんも動けなかったのに。
本当に頭の下がる思いでした。
ご飯を頂いたあとは、みんなでラジオを聞いていましたが、私は映像がないため、この時も、どんな状況なのか、いまいち頭に入って来ませんでした。
が、次の瞬間、
「若林区荒浜の海岸で200~300人の遺体発見」
その言葉を聞いた瞬間、ゾッとしました。
若林区荒浜は、義実家から数キロしか離れていない場所。
よく海水浴に行っていた思い出ある場所。
その場所が遺体で溢れているなんて。
言葉が出ませんでした。
でも、その時は気付かなかったけど、
そのニュースは、これからどんどん明らかになってくる被害のほんの一角に過ぎませんでした。
そのニュースを聞き、もうニュースは聞きいていられない気分だったので、
その日は、早めに布団に入りましたが、
何度も来る余震と、自衛隊のヘリが行きかう音でほとんど眠る事は出来ませんでした。
3.11おわり