スピリチュアルという言葉が流行り始めたのは、

 

正確ではないですが、

 

オーラの泉が放送され始めた頃からでしょうか。

 

精神世界を知らない人たちや興味を持っていた人たちには、

 

こんな世界があるのかって、

 

とても不思議だったことでしょう。

 

神様とか、如来という意味での仏様とか、

 

高次の存在までの話は、

 

あまりなかったのですが、

 

神社やお寺などに行く人も増えたのではないでしょうか。

 

小さい頃から、科学的な事が大好きだった私には、

 

何故生きるのか、

 

何故死ぬのか、

 

何故幸せな人がいるのか、

 

何故不幸な人がいるのか

 

や、

 

地球に人間が住むのなら、宇宙を探し回れば、同じ人間のような存在がいても可笑しくないと考えていたり、

 

自分の未来はどうなっていくのかや、

 

自分の過去世がどうなっていたのか、

 

そもそも、神様のような存在はいるのか、

 

と、

 

思考を巡らせて遊んでいました。

 

だから、スピリチュアルなんて表現も無い時から、

 

自分には見えないけれど、幽霊や妖怪などが見える人がいたから、

 

幽霊や妖怪などの表現や図画などが残されたりしたのではないだろうか、と、考えてみたり。

 

今で言うチャネラーさんのような人も、

 

本当に少なくて、

 

特異体質な人的な見方をしていました。

 

ですが、欲望からなのですが、そんな高次な存在に繋がってみたいと思っていたら、

 

頭の中で自分の思いも寄らぬ言葉が聞こえた時は、びっくりしました。

 

あるし、出来るんだと。

 

でも、その時の繋がりは、欲望からなので、欲望に絡んで自分を神々しい存在に見せたい存在と繋がっている事を知り、

 

その繋がりも、行をして切りました。

 

思ってもみないことで、とても嬉しかったのですが、神々のような存在は、簡単に一般の者に手出しはされません。

 

神様や仏様も、魂の学びを進めていかれた存在だと分かると、

 

そうなる学びをしている我々しかり、犬や猫や動物たちや、植物、鉱物なども同じ学びをしている仲間なんだと分かります。

 

見えないけれど龍さんや天狗さん、きつねさんや、鳳凰さんのような存在もあります。

 

霊として存在して、肉体を持っている人間をサポートされている方々もおられます。

 

ですから、人間は皆、観られているというか、繋がっているのです。

 

誰かが特異体質で聞こえたり、見えたりがあることばかりが、強調されて、そうなりたいと思っているでしょうが、

 

繋がっているのです。

 

監視カメラで観られているよりも、もっと繊細で、あなたが考えている事まで見抜かれています。

 

いや、あなたが考えてないつもりの心の動きも見られています。

 

そばにいつでも、サポートしてくださっている魂さんや天使さん、守護霊さんがおられます。

 

その方々の話に、敏感になれば良いのです。

 

すごい力を持っているからって、評判の人に頼る必要はないのです。

 

その方が、近道のように感じているとしたら、道を誤ります。

 

体験し、分かっている人から色々と聞いたりするのは、とても勉強になるし、面白いですし、

 

人間としての学びの過程でのしがらみで、繋がる縁もあるのですが、

 

自分で氣付けるようになる事を、試されています。

 

人から聞いたり、知識で頭に入れたことでは、身について無いからです。

 

野球を、本で学んで、プロ野球の選手になれる人は、いないでしょうね。

 

自転車の運転も、本で学んだり、人から聞いた話として理解していても、実際に運転してみないと、すぐに転んでしまうでしょう。

 

ある時期、学ぶことも大切ですが、実践を積み重ねている中で学びを意識していれば、

 

必要な人に、高次の存在達が巡り合わせてくれます。

 

こんな良い言葉があるので、唱え続けると、幸せな事が起こりますよって、起こった試しがないのです。

 

起こった人もいるように見えますが、真実を知らないから、起こっていると思います。

 

頭と心を、幸せな言葉で満たして、なじませて、いつも幸せと思う訓練なら、とても納得します。

 

欲望からやり始めたら、欲望を利用したい存在に、あなた自身が乗っ取られます。

 

仏教で、南無◯◯◯◯と唱えるとかでも、本当の本当が、お釈迦様も伝えきれていません。

 

だから、弥勒様に、後世をお願いしたのです。

 

釈迦が如来で、弥勒様が菩薩でって、役職的なことに縛られているから、大切なことに気付かされないのです。

 

本当に力あるものに、後世をお願いするのが、本物でしょ。

 

釈迦に出来なかったことがあるから、弥勒様にお願いしたのです。

 

間違っても、釈迦が、道を開いたから、続きなさいではありません。

 

釈迦は、艱難辛苦の末に、如来になられたのです。

 

その釈迦が、弥勒様に教えを受けていたなど、今の仏教界の人も、ほとんど知らないのでしょう。

 

弥勒様が降りてこられる事、釈迦が人間として生まれてくる前々から、決まっていたことで、

 

釈迦に出来ない役目があるから、釈迦の後に降りてこられるだけのことです。

 

それと、釈迦が、弥勒に対して、「お前が後の世を救え」と言っているのですが、

 

ここにも、謎解きが必要です。

 

これが分かるなら、お釈迦様になれます。

 

私などに分かるわけもなく、私は答えを聞いて納得したほうです。

 

そんな話を今日の、心のとびらを開くでお話しようと思っています。