あまり、書きたいテーマでは無いのですが、
何かのタイミングなので、
書いてみたいと思っています。
いつか人はみな死にます。
死を意識したときから死へのカウントダウンを始めます。
死を意識する前まで、人はいつかは死ぬ事を知っていても、自分はまだ先だろうと、死を遠い先に捉えています。
突然死ぬ場合を除いて、
つまり、病気などで死に至ると思ってしまったときから、死へのカウントダウンを始めてしまいます。
これはこれで、人生の学びであり、体験なのです。
でも、恐怖に苛まれ、生への執着や、出来ないことへのつらい気持ちなどと葛藤しなくてはいけなくなります。
私が死を覚悟したのは、天ぷら屋の時で、自殺をしたいから死を覚悟したのではありません。
心の内観をしている時に、恐怖について真剣に考えていました。
一番の恐怖は、この世から自分の存在が無くなることだと思い、死を突き詰めていきました。
死の前の痛みや苦しみ等も含まれていますが、苦しみながら死ぬのかは人それぞれで、これも当たり前のように意識してしまっている囚われです。
自分の存在が、この世から消えて無くなると、何が起こり、自分はそれをどう感じるのかが問題なのです。
魂は残ります。肉体を離れ、死者が行くべき場所に向かう必要があります。
この今居る場所に留まる必要はありません。
◯◯が心配で、とか、△△に仕返ししたいとか、どんなに残りたくても、死者としてする必要はありません。
改めて、お互いに生まれ変わった時に、出来なかったことや思いを遂げれば良いのです。これが因縁です。
しかし、それは、あなたの囚われなんです。
痛い目、苦しい目に合わせた人にどうしても仕返ししたい、という思いを持って死んだ時に、霊として何か仕返しをしようというのは、気持ちはとても分かりますが、卑怯ですし、結局、次の世で、立場を変えて同じ目にあいます。
子供や◯◯さんが心配で・・・、心配なのは分かります。見守りたい気持ちも分かります。でも、死んでしまってからは、無理があります。
心配する気持ちが、心配する事象を実現し、守りたい子供さんや◯◯さんが、心配するその事柄にあってしまいます。
生きている人に託すのです。
言葉で託さなくても、神仏を通して、託せば良いのです。
子供さんや◯◯さんは、それぞれに本人の魂の学びがあります。それを何も手を出せない存在になっているのに、心配しても仕方なくて、それが死ぬ人や死んだ魂の執着であるという気づきなのです。
第一次大戦後に生まれた方で、花火がとても怖くて、あまりにも怖すぎるので、催眠療法で過去世を見てもらったら、生まれて間もない赤ちゃんの時に爆弾によって亡くなっていて、もっと生きたかったという思いで、かなり早く輪廻転生しているのですが、爆弾による恐怖が記憶に残っていたために花火の炸裂音が怖かった・・・という話を聞いたことがあります。
状況がどうなのかはわかりませんが、輪廻転生が早く行われる事もあるかもしれませんね。
で、死への覚悟についてなのですが、
自分の存在が消えて無くなるのです。
ただ、それだけで、残った方は、意識に残してくれる方もいますが、残った人も、いつまでも意識しているわけではありません。その時々に、その人の体験や学びが起きているので、いつでも貴方のことばかりを思っているわけではないことは、実体験からおわかりいただけていると思います。
人はその程度ですし、あなたもその程度のはずです。
残った人は、自分が生きるために執着しているのです。
話が飛びますが、子供の頃、嫌で仕方ない親の元を離れられなかったのは、子供なのでそれしか生きる道がなかったと思っていたからです。
そんな親、早く縁を切ってしまえばいいのに(^^)
そう出来ないのが素晴らしいのですが、縁を切ったつもりで付き合って見ると、見方が変わるかもしれませんね。
話を戻します(^^;
生きている証が欲しいとか、目指すものがあったのに出来ていない、今世に役目があるのに・・・
今、出来ることをしてください。
出来なかったことは、来世か未来世で、経験できるかもしれません。
地球ではないかもしれませんけどね。
今、出来ることに意識を向けないで、いまいま死ぬわけがないと思っているかた、
死を間際にして、やれば良かった、しておけばよかったと思っても遅いのです。
やるのは、今です。死ぬ覚悟もそうですが、生きる覚悟も必要ですし、今やる覚悟も必要なのです。
さまざまなご意見があるでしょうが、私の思う所です。
受け入れられる方、否定する方、拒否する方、それぞれに学びがあるので、それで良いと思います。
話が色んな所へ飛んでしまいしたが、死ぬ覚悟って、
今を生きるために必要なことです。
何故、こんな話を書き始めたのかというと、
父がステージ4と言われ、後2年ですと医師から告げられてから、有り難いことに3年以上が過ぎました。
父はがん治療は一切せず、食べる事や行動の自由を選びました。
もちろん、父の意思を尊重しましたし、そうして欲しい道を選んでくれました。
まだ、父は生きています。
まだ、歩きまわって、買い物にも出かける事もあります。
しかし、酒を飲みたいとは思わなくなっています。
ここに、父の闘病日記・・・闘病はしてないので、日記を書くつもりはないです(^^)
大半のかたは、生から死を見ているでしょう。
でも、死から生を見る見方もあるのです。
※話が飛び飛びになったのは、思いつきで書いているので、そうなってしまいました。すみません。
何かのタイミングなので、
書いてみたいと思っています。
いつか人はみな死にます。
死を意識したときから死へのカウントダウンを始めます。
死を意識する前まで、人はいつかは死ぬ事を知っていても、自分はまだ先だろうと、死を遠い先に捉えています。
突然死ぬ場合を除いて、
つまり、病気などで死に至ると思ってしまったときから、死へのカウントダウンを始めてしまいます。
これはこれで、人生の学びであり、体験なのです。
でも、恐怖に苛まれ、生への執着や、出来ないことへのつらい気持ちなどと葛藤しなくてはいけなくなります。
私が死を覚悟したのは、天ぷら屋の時で、自殺をしたいから死を覚悟したのではありません。
心の内観をしている時に、恐怖について真剣に考えていました。
一番の恐怖は、この世から自分の存在が無くなることだと思い、死を突き詰めていきました。
死の前の痛みや苦しみ等も含まれていますが、苦しみながら死ぬのかは人それぞれで、これも当たり前のように意識してしまっている囚われです。
自分の存在が、この世から消えて無くなると、何が起こり、自分はそれをどう感じるのかが問題なのです。
魂は残ります。肉体を離れ、死者が行くべき場所に向かう必要があります。
この今居る場所に留まる必要はありません。
◯◯が心配で、とか、△△に仕返ししたいとか、どんなに残りたくても、死者としてする必要はありません。
改めて、お互いに生まれ変わった時に、出来なかったことや思いを遂げれば良いのです。これが因縁です。
しかし、それは、あなたの囚われなんです。
痛い目、苦しい目に合わせた人にどうしても仕返ししたい、という思いを持って死んだ時に、霊として何か仕返しをしようというのは、気持ちはとても分かりますが、卑怯ですし、結局、次の世で、立場を変えて同じ目にあいます。
子供や◯◯さんが心配で・・・、心配なのは分かります。見守りたい気持ちも分かります。でも、死んでしまってからは、無理があります。
心配する気持ちが、心配する事象を実現し、守りたい子供さんや◯◯さんが、心配するその事柄にあってしまいます。
生きている人に託すのです。
言葉で託さなくても、神仏を通して、託せば良いのです。
子供さんや◯◯さんは、それぞれに本人の魂の学びがあります。それを何も手を出せない存在になっているのに、心配しても仕方なくて、それが死ぬ人や死んだ魂の執着であるという気づきなのです。
第一次大戦後に生まれた方で、花火がとても怖くて、あまりにも怖すぎるので、催眠療法で過去世を見てもらったら、生まれて間もない赤ちゃんの時に爆弾によって亡くなっていて、もっと生きたかったという思いで、かなり早く輪廻転生しているのですが、爆弾による恐怖が記憶に残っていたために花火の炸裂音が怖かった・・・という話を聞いたことがあります。
状況がどうなのかはわかりませんが、輪廻転生が早く行われる事もあるかもしれませんね。
で、死への覚悟についてなのですが、
自分の存在が消えて無くなるのです。
ただ、それだけで、残った方は、意識に残してくれる方もいますが、残った人も、いつまでも意識しているわけではありません。その時々に、その人の体験や学びが起きているので、いつでも貴方のことばかりを思っているわけではないことは、実体験からおわかりいただけていると思います。
人はその程度ですし、あなたもその程度のはずです。
残った人は、自分が生きるために執着しているのです。
話が飛びますが、子供の頃、嫌で仕方ない親の元を離れられなかったのは、子供なのでそれしか生きる道がなかったと思っていたからです。
そんな親、早く縁を切ってしまえばいいのに(^^)
そう出来ないのが素晴らしいのですが、縁を切ったつもりで付き合って見ると、見方が変わるかもしれませんね。
話を戻します(^^;
生きている証が欲しいとか、目指すものがあったのに出来ていない、今世に役目があるのに・・・
今、出来ることをしてください。
出来なかったことは、来世か未来世で、経験できるかもしれません。
地球ではないかもしれませんけどね。
今、出来ることに意識を向けないで、いまいま死ぬわけがないと思っているかた、
死を間際にして、やれば良かった、しておけばよかったと思っても遅いのです。
やるのは、今です。死ぬ覚悟もそうですが、生きる覚悟も必要ですし、今やる覚悟も必要なのです。
さまざまなご意見があるでしょうが、私の思う所です。
受け入れられる方、否定する方、拒否する方、それぞれに学びがあるので、それで良いと思います。
話が色んな所へ飛んでしまいしたが、死ぬ覚悟って、
今を生きるために必要なことです。
何故、こんな話を書き始めたのかというと、
父がステージ4と言われ、後2年ですと医師から告げられてから、有り難いことに3年以上が過ぎました。
父はがん治療は一切せず、食べる事や行動の自由を選びました。
もちろん、父の意思を尊重しましたし、そうして欲しい道を選んでくれました。
まだ、父は生きています。
まだ、歩きまわって、買い物にも出かける事もあります。
しかし、酒を飲みたいとは思わなくなっています。
ここに、父の闘病日記・・・闘病はしてないので、日記を書くつもりはないです(^^)
大半のかたは、生から死を見ているでしょう。
でも、死から生を見る見方もあるのです。
※話が飛び飛びになったのは、思いつきで書いているので、そうなってしまいました。すみません。