私自身の世界には、
霊を感じる方もおられれば、
お話を出来る方もおられます。
木や花や、犬や猫、石や金属とでさえもお話できる方々がおられます。
私は、何度も書いてきましたが、
感じない方からすると感じる方ですが、
分かる方、話せる方からすると、「えっ、わからないの」
という感じでしょう。
そこに、人間的な良し悪しもなく、優劣もないので、いつ、より感じるようになっても、
木々とお話できるようになっても、高次の存在の方々とお話できるようになっても、
構わないと思っています。
イメージでいうなら、「トイストリー」の世界です。
量子的に言っても、私が観ていない(観測していない)状態の部屋では、
私には、何が起きていても分からないのです。観て(観測して)初めて分かるのです。
エアコンと、ハンガーが喧嘩をしていても、
洗濯してたたんでない衣類同士が、不平を言っていても、
私が観ていない時には、何が起こっていても、私には分からないのです。
外から帰ってきた時に、外出する時のままの状態で平然と物がただあるだけだと思って帰ってきています。
会話が出来ないことが、当たり前だったので、気にも止めてません。
靴下の穴が空いたら、あーあー、穴が空いたから、次の買わなきゃって思います。
ですが、トイストリーのように、
物達は、何かを感じています。
意思と意識を持ち、愛と調和を持っているのです。
なので、ハサミは、ハサミとして機能してくれます。
不平不満も言わずに、機能してくれます。
ですが、私と来たら、切れが悪いだの、もっと良いものは無いのかなどと、平気で不満を言っています。
逆の立場になれば、逆の立場を体験すれば、それがどんなに嫌なことで、苦しくて、惨めで、悲しいことかが分かります。
もちろん、それは、自分の身体の各部位にも言えることですし、体全体にも言えることです。
物は、意思と意識を持ち、愛と調和を持っています。
陽子と中性子が対応しています。
ということは、私たちも、意思と意識で出来上がった物であり、
愛と調和を持って出来上がったものです。
部屋にあるものだけでなく、私も、意思や意識、愛と調和の集合体なのです。
もちろん、あなたも。
物質は全てそうなのです。
でも、会話は出来てないのですが、「好きだよ、愛してるよ」って、思うだけでも、
物は感じ取っています。
ゴミとして捨てる時にも、ありがとう なのです。
私は、物を手に入れた時、私のところに来て良かったねって話しかけています。
だって、沢山の高次の存在に見守られている私のところに来られるご縁があるのですから。
これ、みんな同じですよ。
高次の存在の方々も、気にかければ、気にしてもらえます。
神社に行って、どんな存在にお願い事をしているのかも分かって無くて、お賽銭の金額にこだわっている状態で、
高次の存在が振り向くなんて、思わないでください。
高次の存在は、あなたが、高次の存在に気づくのをずっと待っておられます。
居るって、信じて、話しかければよいのです。父や母、兄や姉、近所のおじさんやおばさんと同じ感覚で良いのです。
礼を尽くして、その礼が何に向かっての礼なのかも分からないのなら、無礼でも対象を認識(見えたり、感じたりしなくても、信じているということです)すれば、「無礼な!」と諭してくださいます。
実際に「無礼な」と言われたことがあるので、言われたら、どうすればよいか教えますよ(^^)
いると、おられると信じる。そこから始めてください。