前回のブログの香取神宮と同じ千葉県の
成田市台方に鎮座する
『麻賀多(まかた)神社』へ行きました。
印旛郡に18社ある麻賀多神社の総社だそうです。
境内の由緒書きによると、
むかし日本武尊の東征の折、この地域の
五穀の実りが悪いのを知り、里の人を集めて
大木の虚(うろ)に鏡を掛け、その根元に
七つの玉を埋めて伊勢神宮に祈願すると
その後は豊年が続いたそうです![]()
また、今から1700年くらい前の3世紀ごろ
当時の大和朝廷の地方長官だった印旛国造の
伊都許利命(イツコリノミコト)は、
この鏡を霊代として祀られる稚日霊命
(わかひるめのみこと)の霊示を受け、
玉を掘って御霊代とし、伊勢神宮の外宮の
親神である和久産巣日神(わくむすびのかみ/
稚産霊命とも表記されています)を祀り
麻賀真大神(まかたまのおおかみ)と
崇めたといいます(-人-)![]()
その後、推古天皇十六(608)年に宮居を建て
『麻賀多の大宮』と名付けられました。
参道の横の地面が細かいガラスのようでした。
『祓戸』
御祭神は祓戸神の
瀬織津姫と気吹戸主と速秋津姫と速佐須良姫だそうです![]()
『社殿』
御祭神の和久産巣日神は、古事記・日本書紀によると
日本の国造りの神であり、五穀豊穣の神であり
産業を司る神様であるそうで、
伊勢神宮内宮の神様(天照大神)の姉神であり
外宮の神様(豊受大神)は子神と記され、
香取神宮の御祭神の経津主命と
鹿島神宮の御祭神の武甕槌命は
弟神だといいます。
猫がいました![]()
拝殿の奥の、朱塗りの本殿。
何かの動物の彫り物と、御神紋の“麻の葉”がありました。
この地域は昔から麻の産地で麻縣(あさがた)と云われた
時代もあったそうです。
朝廷の身に着ける衣は、この地から献上されたため
神社の御神紋は特別に麻の葉になったといいます。
本殿の奥の『天日津久神社』
詳しくはわかりませんが、
すごい神示が降りてきたところだそうです![]()
推古天皇の時代に植樹されたという『大杉』。
樹齢約1400年で、高さは40メートルほどあり
東日本一の大杉だそうです。
大杉は昔から多くの祈願が行われ、
大願成就の前には梢より霊光が輝き、
神のお告げがあると言い伝えられているのだとか![]()
ご神木の大杉を含む、周囲の緑豊かな森は
「麻賀多神社の森」として県の天然記念物に
指定されています![]()
「麻賀多神社の森」は、印旛沼の東方約1kmに
位置する台地上に発達した社叢で、
スギ林、スダジイ林、ヒノキ林、カシ林などから
成るそうです![]()
また、印旛沼の畔には
約1200年前の桓武天皇の頃に
勅使の大伴家持から寄進されたという
一の鳥居があるそうです![]()
大伴家持は万葉集の編纂に関わったとされる方![]()
大伴氏について書かれた本によると、
大伴氏は日本書紀の神話の頃から
王家の良き従者として付き従う天皇家の忠臣であり、
7世紀後半以降に藤原氏が一党独裁体制を固め
ほとんどの旧豪族が追い落とされ没落していく中
最後まで残った名門一族でした。
大伴家持は様々な任地に遣わされ
最後は東北で亡くなったといいます。
その頃、藤原種継暗殺事件が起こり、
皇太子であった早良親王が嫌疑をかけられて
流刑先で亡くなったほか、
既に亡くなっていたという大伴家持が
事件の黒幕で首謀者だったとされ、
官人資格剥奪や土地の没収など
思い処罰が下されました。
その後、平安京では不吉なことが立て続けに起こり
早良親王の祟りだとされたため
桓武天皇は鎮魂のため親王の陵墓に
祟道天皇と追号しました。
また『日本後紀』には桓武天皇の遺言が記録されていて
その中に、藤原種継暗殺事件で流罪になった者を許し
大伴家持らの官位を復することとあったといいます。
その後大伴氏は、貞観八(866)年の応天門の変で
放火の罪をかけられ没落しました![]()
大伴家持は、蝦夷東征のために
東北の地に差し向けられたといいます。
蝦夷はヤマト朝廷の敵とされていましたが
藤原不比等の時代の言いがかりであり
それ以前は良好な関係が築かれていたため、
蝦夷の征討がなかなか進まなかったのは
決戦を避けていたのではという話もあるそうです。
境内の猫がずっと撫でさせてくれて嬉しかったです![]()
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神社の御神紋が麻の葉だったので
麻の葉に似た植物がデザインされたビーズで
ネックレスをつくりました。
ビーズのベースの部分が
アルミニウムみたいだったので、
似たような色の革紐を合わせました。
同じようなビーズが何個かあったので
全部同じ革紐を合わせました。
赤と
黄色と
緑と
水色。
5本できました![]()



















