続・Perfume×RHYMESTER対バンイベントに行く前に
http://ameblo.jp/chavex/entry-11802118148.html
↑記事の続きです。
2007年4月から始まった「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」。
その半年後、2007年9月1日にゲストとして出演したのがPerfume。
Perfumeの存在に関しては、宇多丸さんがTOKYO FMにてやっていた深夜放送を聞いていたので、
存在自体は2005年頃から知っていました。
売れないアイドルが深夜イベントに出れないから早朝に出演したり、ラーメンつくったりとか・・・
曲がいいぞってその時も力説してたと思いますが・・・
ふ~ん、って感じでした。
・・・
当時はまさに「アイドル冬の時代」。
未だにブームが続く現在なら話は別だったかもしれませんが全く興味は湧きませんでした。
当然、BUBKAなぞ連載してるのは知っていましたが、興味どころかアイドルヲタのなれの果て、と嫌悪してるくらいでしたから・・・
ウィークエンドシャッフル開始当初は宇多さんもモー娘。の復活を図らんとこの曲を激推し!
さすがにラジオで脳内で生まれたPV妄想を熱く実況されても全く響きませんでした。
しかし、この楽曲は松井寛さん編曲。
現在は宇多丸さんとコラボするほどの仲。東京女子流にも繋がるという・・・(これ拡げるとキリがない^^;)
始まって三ヶ月くらいはPerfumeの話題は全く無く、曲の紹介ももちろんありませんでした。
考えてみればこの頃の大きな出来事といえば2月のファン・サーヴィス発表くらい。活動も未だにライヴのみ。時期を逸しているので語るキッカケが無かった事もありますね。
その後、「ポリリズム」発売に向けてPerfumeが精力的に動き出し・・・
ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル2007/9/1放送 ゲスト Perfume
何が引っ掛かったかといえばやはり、
「喋りが芸能人らしくない」って一言に尽きます。
アイドルらしくない方言丸出しの素朴な振る舞いなのに、3人でキャッキャと会話する天真爛漫な様子がアイドルという立ち位置を成立させてしまっている!
現在の多様なアイドルシーンでは珍しくもないのですが当時は衝撃でした。
アイドルとは平気で人前でウソをつき、媚を売る信用できない生き物。
そんな妙な固定観念や警戒心を彼女達はあっさりと崩してくれました。
その後、楽曲の素晴らしさにも触れ、
この3人、この楽曲群がメディアを賑わすシーンを本気で望みました。
・・・まあ、個人的に結成前から、いや企画段階から因縁がある秋○A○Bに対するカウンターアタックという意味ではおもいっきり本気でしたが・・・
この頃の気持ちを考えると、
楽曲のスゴさを知る前に彼女たちの素朴で天真爛漫なキャラクターに触れたことが
今後、様々なシーンで活躍する女の子を応援する指標になったのかな?と思います。
その後、Perfumeに傾倒していき、彼女らの情報を渇望し、
2007年末、ついにZEPP TOKYOのカウントダウンライブに参戦。
GAMEツアーも東京、名古屋、仙台に参戦。
特に地獄の仙台ではライヴハウスの面白さに開眼。
過酷な環境に笑みをこぼし始めるようになる・・・。
・・・
あれからさらに6年以上の年月が経ちました。
未だにこの2つのグループの活躍に興味が尽きない自分を不思議に思うことがあります。
2つのグループを巡り合わせたキッカケには
もちろん掟ポルシェ。さんやミシェル・ソーリー(ex.ミッツィー申し訳)さんというキーパーソンも外せません。
様々な人々の数奇な出会いがさらに大きな巡り合わせを生みだしていること。
ウタさんはミッツィーさんに出会わなければPerfumeに深く絡んでいない。
逆もしかり。掟さんも同様でしょう。
ウタさんとミッツィーさんの出会いについてはちょうどタイムリーな記事があったのでコチラへ
Perfumeが宇多丸さんに出会わなければ・・・
もちろんコレは無かったでしょう。
「Perfumeはアイドルシーン最後の希望!」
アイドルの停滞が叫ばれていた厳しい環境の中で訴えた彼女達への支持。
その熱弁が評価され、TBSラジオにて単独番組を獲得。
ここで訴えていなければ、宇多丸さんのラジオ番組は始まっていなかった。
ってことは映画評論コーナー「シネマハスラー」(現在はムービーウォッチメン)も始まっていない。
ってことは「SR サイタマノラッパー」も紹介されていない。
その映画の内容からインスパイアされ、2009年RHYMESTER再起動時に生まれた楽曲であり、
その後のヒップホップシーンのアンセムとなった名曲『ONCE AGAIN』も生まれていなかったかもしれません。
RHYMESTERの楽曲の変遷もまた別モノになっていたのでしょう。
・・・
それでも、Perfumeはブレイクしてたと思います・・・たぶん。
別の方法で。
その方法が何かはわかりませんが、必ず何らかの真っ当な方法で!
だけど、自分はPerfumeに対して興味を注ぐこと、
Perfumeのファンになることは無かったと思います。
自分には音楽的センスなんて皆無ですし、
Perfumeの良さを楽曲から理解するのは自分からは無理だったと思います。
トークという部分が無ければ興味が沸くことは無かったでしょう。
故に僕はこの巡り合わせに感謝を惜しみません。
では、Perfumeのファンになっていなかったら?
この盛況なアイドルシーンで別のファンになっていたか?
上記に書いた理由でA○Bグループが跋扈するシーンに興味が沸くことはないでしょうね。
・・・う~ん、でもカウンターって意味ではハロプロのファンになってたかも(・・;)
こういうMADコラボ繋がりで興味は薄く持続してましたから。
もし、RHYMESTERを知らなければ・・・
こっちのほうが全く想像できませんね。
何に興味を持ってたんだろ?
ボンクラ度合いは全く変わらないと思いますが・・・ネット廃人かな?
・・・ゾッとします。
と、いうわけで自分に大きな影響を与えてくれた2つのグループの共演。
インディーズ時代から応援してくれた宇多丸さんへの恩義があるPerfumeの3人。
逆にラジオ番組という新たな道を切り開くチャンスをPerfumeに与えてくれた恩義がある宇多丸さん。
そして、Mummy-DさんとDJ JINさんはPerfumeに対してどのような気持ちを持っているのか気になるところ。
RHYESTERの異名は「キング オブ ステージ」。
Perfumeとは異なる三位一体の極致。
Perfumeに捧げるメッセージも当然、RHYMESTERの3人はセトリやリリックに込めてくるハズ。
そして、最高の形で彼女らにバトンを手渡すことになるハズです。
それに受けて立つPerfume。
ロックフェスのトリをも務めた彼女達のライヴは自信に満ちたモノになるだとうと思います。
そして、未知のコラボへとなだれ込むまさに夢のような構図。
どちらかを知らないファンの人たちにはどう映るのか感想も興味深いですね^^
・・・
対バンフェスを通じて2つのグループに、
そしてそれを通じて巡り合い、自分に関わってくれた全ての人たちへの感謝。
今回のイベントは自分にとって幸も不幸も全部ひっくるめて生きてきた証。
感慨深いという言葉では足らないくらい熱さやら感動やら気持ち悪さやらとにかくいろいろ。
自分史に大きな楔を打つ一戦になります。
自慢できるのならば
2002年4月21日の自分。
そして、2007年9月1日の自分。
こいつらに思いっきり自慢してやりたい。
のんきにテレビやラジオの前にいるお前!
数年後、相当熱苦しくなってるからな!!(笑)
↑記事の続きです。
2007年4月から始まった「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」。
その半年後、2007年9月1日にゲストとして出演したのがPerfume。
Perfumeの存在に関しては、宇多丸さんがTOKYO FMにてやっていた深夜放送を聞いていたので、
存在自体は2005年頃から知っていました。
売れないアイドルが深夜イベントに出れないから早朝に出演したり、ラーメンつくったりとか・・・
曲がいいぞってその時も力説してたと思いますが・・・
ふ~ん、って感じでした。
・・・
当時はまさに「アイドル冬の時代」。
未だにブームが続く現在なら話は別だったかもしれませんが全く興味は湧きませんでした。
当然、BUBKAなぞ連載してるのは知っていましたが、興味どころかアイドルヲタのなれの果て、と嫌悪してるくらいでしたから・・・
ウィークエンドシャッフル開始当初は宇多さんもモー娘。の復活を図らんとこの曲を激推し!
さすがにラジオで脳内で生まれたPV妄想を熱く実況されても全く響きませんでした。
しかし、この楽曲は松井寛さん編曲。
現在は宇多丸さんとコラボするほどの仲。東京女子流にも繋がるという・・・(これ拡げるとキリがない^^;)
始まって三ヶ月くらいはPerfumeの話題は全く無く、曲の紹介ももちろんありませんでした。
考えてみればこの頃の大きな出来事といえば2月のファン・サーヴィス発表くらい。活動も未だにライヴのみ。時期を逸しているので語るキッカケが無かった事もありますね。
その後、「ポリリズム」発売に向けてPerfumeが精力的に動き出し・・・
ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル2007/9/1放送 ゲスト Perfume
何が引っ掛かったかといえばやはり、
「喋りが芸能人らしくない」って一言に尽きます。
アイドルらしくない方言丸出しの素朴な振る舞いなのに、3人でキャッキャと会話する天真爛漫な様子がアイドルという立ち位置を成立させてしまっている!
現在の多様なアイドルシーンでは珍しくもないのですが当時は衝撃でした。
アイドルとは平気で人前でウソをつき、媚を売る信用できない生き物。
そんな妙な固定観念や警戒心を彼女達はあっさりと崩してくれました。
その後、楽曲の素晴らしさにも触れ、
この3人、この楽曲群がメディアを賑わすシーンを本気で望みました。
・・・まあ、個人的に結成前から、いや企画段階から因縁がある秋○A○Bに対するカウンターアタックという意味ではおもいっきり本気でしたが・・・
この頃の気持ちを考えると、
楽曲のスゴさを知る前に彼女たちの素朴で天真爛漫なキャラクターに触れたことが
今後、様々なシーンで活躍する女の子を応援する指標になったのかな?と思います。
その後、Perfumeに傾倒していき、彼女らの情報を渇望し、
2007年末、ついにZEPP TOKYOのカウントダウンライブに参戦。
GAMEツアーも東京、名古屋、仙台に参戦。
特に地獄の仙台ではライヴハウスの面白さに開眼。
過酷な環境に笑みをこぼし始めるようになる・・・。
・・・
あれからさらに6年以上の年月が経ちました。
未だにこの2つのグループの活躍に興味が尽きない自分を不思議に思うことがあります。
2つのグループを巡り合わせたキッカケには
もちろん掟ポルシェ。さんやミシェル・ソーリー(ex.ミッツィー申し訳)さんというキーパーソンも外せません。
様々な人々の数奇な出会いがさらに大きな巡り合わせを生みだしていること。
ウタさんはミッツィーさんに出会わなければPerfumeに深く絡んでいない。
逆もしかり。掟さんも同様でしょう。
ウタさんとミッツィーさんの出会いについてはちょうどタイムリーな記事があったのでコチラへ
Perfumeが宇多丸さんに出会わなければ・・・
もちろんコレは無かったでしょう。
「Perfumeはアイドルシーン最後の希望!」
アイドルの停滞が叫ばれていた厳しい環境の中で訴えた彼女達への支持。
その熱弁が評価され、TBSラジオにて単独番組を獲得。
ここで訴えていなければ、宇多丸さんのラジオ番組は始まっていなかった。
ってことは映画評論コーナー「シネマハスラー」(現在はムービーウォッチメン)も始まっていない。
ってことは「SR サイタマノラッパー」も紹介されていない。
その映画の内容からインスパイアされ、2009年RHYMESTER再起動時に生まれた楽曲であり、
その後のヒップホップシーンのアンセムとなった名曲『ONCE AGAIN』も生まれていなかったかもしれません。
RHYMESTERの楽曲の変遷もまた別モノになっていたのでしょう。
・・・
それでも、Perfumeはブレイクしてたと思います・・・たぶん。
別の方法で。
その方法が何かはわかりませんが、必ず何らかの真っ当な方法で!
だけど、自分はPerfumeに対して興味を注ぐこと、
Perfumeのファンになることは無かったと思います。
自分には音楽的センスなんて皆無ですし、
Perfumeの良さを楽曲から理解するのは自分からは無理だったと思います。
トークという部分が無ければ興味が沸くことは無かったでしょう。
故に僕はこの巡り合わせに感謝を惜しみません。
では、Perfumeのファンになっていなかったら?
この盛況なアイドルシーンで別のファンになっていたか?
上記に書いた理由でA○Bグループが跋扈するシーンに興味が沸くことはないでしょうね。
・・・う~ん、でもカウンターって意味ではハロプロのファンになってたかも(・・;)
こういうMADコラボ繋がりで興味は薄く持続してましたから。
もし、RHYMESTERを知らなければ・・・
こっちのほうが全く想像できませんね。
何に興味を持ってたんだろ?
ボンクラ度合いは全く変わらないと思いますが・・・ネット廃人かな?
・・・ゾッとします。
と、いうわけで自分に大きな影響を与えてくれた2つのグループの共演。
インディーズ時代から応援してくれた宇多丸さんへの恩義があるPerfumeの3人。
逆にラジオ番組という新たな道を切り開くチャンスをPerfumeに与えてくれた恩義がある宇多丸さん。
そして、Mummy-DさんとDJ JINさんはPerfumeに対してどのような気持ちを持っているのか気になるところ。
RHYESTERの異名は「キング オブ ステージ」。
Perfumeとは異なる三位一体の極致。
Perfumeに捧げるメッセージも当然、RHYMESTERの3人はセトリやリリックに込めてくるハズ。
そして、最高の形で彼女らにバトンを手渡すことになるハズです。
それに受けて立つPerfume。
ロックフェスのトリをも務めた彼女達のライヴは自信に満ちたモノになるだとうと思います。
そして、未知のコラボへとなだれ込むまさに夢のような構図。
どちらかを知らないファンの人たちにはどう映るのか感想も興味深いですね^^
・・・
対バンフェスを通じて2つのグループに、
そしてそれを通じて巡り合い、自分に関わってくれた全ての人たちへの感謝。
今回のイベントは自分にとって幸も不幸も全部ひっくるめて生きてきた証。
感慨深いという言葉では足らないくらい熱さやら感動やら気持ち悪さやらとにかくいろいろ。
自分史に大きな楔を打つ一戦になります。
自慢できるのならば
2002年4月21日の自分。
そして、2007年9月1日の自分。
こいつらに思いっきり自慢してやりたい。
のんきにテレビやラジオの前にいるお前!
数年後、相当熱苦しくなってるからな!!(笑)