『直木(ちょくぼく)は先ず伐られ、甘井(かんせい)は先ず竭(つ)く』
―直木先伐、甘井先竭―

                                    

<荘子>

樹木は、真っ直ぐで材木に適しているものから先ず切り倒され、井戸はうまい水の出るものから先ず飲み尽されてしまう。人間もそれと同じこと。有用であ り有能である人物ほど、つまずいて怪我をしやすい。一見、無能で、目立たない生き方をしている人間のほうが、この人生を大過なく生きていけるのだという。

『荘子』は「意怠」という鳥の例を引いている。

この鳥は、バタバタと羽ばたくだけで見るからに無能そうである。他の鳥に引きずられてようやく飛び上がり、尻をたたかれてやっとねぐらに帰ってくる。進 むときには先頭に立とうとせず、退くときにもしんがりをつとめようとしない。餌をとるときもけっして先を争わないで、仲間はずれにされることもなく、危害 を加えられることもないのだという。

※ 人を責めず、人からも責められない。そんな控え目な生き方がもっともよいというのだ。一面の真理かもしれない。

 

茶臼山古墳的 日々是好日-t02200304_0376052011084550423  中国古典一日一言 (PHP文庫 モ 1-4) [文庫]

  守屋 洋 (著)
  文庫: 409ページ
  出版社: PHP研究所 (1987/12)
  ISBN-10: 4569563805

  ISBN-13: 978-4569563800