『遠慮なければ必ず近憂(きんゆう)あり』
―無遠慮、必有近憂―
<論語>
「遠慮」は、いわゆる気兼ねではない。文字通り遠き慮(おもんばか)りである。だから、「遠いところまで見通して対策を考えておかないと、近いところで足をすくわれることになる」と訳せる。
なんだ、そんなことかと思われるかもしれない。たしかに孔子ならずとも、ちょっと気の利いた人間なら、誰でも口にしそうなことばである。だが、一見、平凡ではあるが、いざ実行となると、かえって難しい。
『左伝』にも…
「君子は遠慮あり、小人は邇(ちか)きに従う」
とある。とかく目先のことにとらわれて、うろうろ、おたおたしがちなのが、われわれの常だ。
では、遠慮とはどの程度の先を指しているのか。少なくとも十年くらいは射程に入れておかなければならないだろう。このくらいの「遠慮」があれば、かなりな程度、「近憂」を避けることが出来るに違いない。
守屋 洋 (著)
文庫: 409ページ
出版社: PHP研究所 (1987/12)
ISBN-10: 4569563805
ISBN-13: 978-4569563800