『智はなお水の如し、流れざるときは則ち腐る』
―智猶水也、不流則腐―


 

<宋名臣言行録>

水はたえず流れていないと腐ってしまい、飲み水としては使えなくなる。「智」もそれと同じように、たえず使っていないと、サビついて使いものにならなくなるのだという。

「智」とは、この場合、頭といったほうがわかりやすいかもしれない。

張詠(ちょうえい)という宋代の名臣が、部下に対して言いきかせた言葉だという。かれは、こうも語っている。

「大小の事、皆すべからく智を用うべし。凡百(ぼんびゃく)、智を用いずんば、大事の際に臨みにて、いずくんぞ智の来たるあらんや」

ふだんから頭をつかっていないと、イザという時に名案などが浮かんでこないというのだ。
われわれはよく、事が終わってから、「ああすればよかった、こう言えばよかった」と後悔することがある。これを「愚者の後智恵」という。どんなに名案が浮かんだところで後智恵では仕方がない。それと言うのも、ふだんから頭を鍛えていなかった報いであろう。 

 

茶臼山古墳的 日々是好日-t02200304_0376052011084550423  中国古典一日一言 (PHP文庫 モ 1-4) [文庫]

  守屋 洋 (著)
  文庫: 409ページ
  出版社: PHP研究所 (1987/12)
  ISBN-10: 4569563805

  ISBN-13: 978-4569563800