心虚則性現。
不息心而求見性、如撥波覓月。
(菜根譚)
心虚しければ則ち性現わる。
心を息めずして性を見んことを求むるは、
波を撥(ひら)きて月を覓(もと)むるが如し。
今回は菜根譚をお届けします。
「心が空虚になれば、自ずと自分の本性が現れる。
心を動くままにしておいて本性を見ようとするのは、
波をかきわけて、水面の月を探すのと同じである。」
自分とは何者かと考える場面が人生には訪れる。
幼いときも大きくなってからも。
幼い頃兄弟げんかで自分が叱られたとき、
何故叱られたのか、自分の立場を自問する。
大きくなると、他人と自分の違いを意識しだし、
何故今の自分に至ったのか、自分の歴史をたどり、
何者かを知ろうとする。
激動の渦中で心が揺れ動いているときは、自分が
何をおかしているのか見えていない。
この状況を「自分で波立てておきながら、必死に
水面の月を求めるさま」に菜根譚はたとえる。
昨日、元オウム幹部死刑囚7名の死刑が執行されました。
死刑が確定してから、各死刑囚が自分とは何者だったのか、
見つめなおす時間があったと新聞記事にありました。
いくら後悔しても罪を償うことはできませんが、最後に
自分は何者だったのか問い直す機会を得る。
拘置所の環境は、心を空虚にしてくれる環境です。
自分が何者か、あの時見えていたら、あんな大罪は
は犯さなかっただろうと気づきます。
どんな場面でも心が揺れ動いていると、水面の月は
揺らいで見えます。
一度渦中から身を退くことで、心を落ち着ける。
身を退くことをオウムという信仰が許さなかったとしたら、それは本当の信仰ではないでしょう。
菜根譚の言葉は、人生の岐路に立つときだけでなく、日常の場面で、自分を見つめ直す大切さを教えます。
有無相生