知成之必敗、則求成之心、不必太堅。
(菜根譚)
 
『成の必ず敗るるを知らば、成を求める心、必ずしも太(はなは)だ堅からず』。
花粉症がまだ治まらず、マスクを手放せません。
今では黄砂やPM2.5が追い討ちをかけ、症状をひどくしているようです。
くしゃみをしながら、菜根譚のページをめくり、この言葉を選びました。

「できあがったものはいつか必ず壊れることを知っていれば、できあがることを求める気持ちはそれほど強くはおこらない。」

なんともネガティブな言葉です。

この言葉は、次に来る言葉の前置きになっています。
次の言葉は、成を生に置き換えます。
生あるものは必ず死を迎えるから、生き残ろうと必死になることもない。
生者必滅の教えです。

公園の砂場で子供が砂山を作って遊んでいます。
砂山は水をかけると崩れてしまいます。
崩れても崩れても、遊びをやめません。
何かを作ろうとする過程が面白いからです。
プラモデルを作っているときと同じです。

この成が、地位や富という世俗的な成功になると、菜根譚の言葉は生きてくる。
世俗的な成功はあの世に持っていけない。
成功よりも、生きているうちに何をするかが大事ということになります。
だから成功に執着することはないといえば、何となくわかります。

子供の砂山と同じで、砂山を作ろうとする気持ちは確かに強い。
作った砂山を維持しようとすることは空しく、作る過程を楽しめればよい。

生を授かったこの身体は、作ったのは自分ではなく、親や先祖を含む自然です。
自然を主体にすれば、作ったものを壊すことに思い入れはない。

老子の「天地不仁,以萬物為芻狗。」にあるように、天地自然は、人間をわらの犬のように壊してしまう。

菜根譚の上の言葉は、創造主の自然から見た真理です。
自然に作ってもらった人間は、その真理を忘れず、死を迎えてもあたふたしない。
菜根譚の言葉が、ネガティブからポジティブに変わる瞬間が最後に訪れました。
「有無相生」より