『安居(あんきょ)なきに非(あら)ず、我に安心なきなり』
―非無安居也、我無安心也―
 

 

<墨子>

心さえ満ち足りていれば、どんな境遇におかれても安らかに暮らすことができる。安らかに暮らすことができないのは、我が心に問題があるからだ、というのである。

 

『韓非子』に、こんな話がある。

 

斉の国の慶封(けいほう)という重臣が国許で反乱を起こし、失敗して越の国に逃げようとした。それを見た親族のものが、「晋のほうが近いのに、どうして晋に逃げないのか」とたずねたところ、慶封は、「越のほうが遠いから、身を隠すのに都合がいい」と答えた。

これを聞いて、親族の者は語ったという。
「心さえ入れ替えたら、晋に居ても恐れる必要はない。肝心の心がそのままでは、越まで逃げていったところで、安心はできない」

 

 ※ むろん環境の大切なことは否定できない。だが、どんなに環境に恵まれても、心が不安定では、真の安らぎは得られないということである。

 

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