『三人行えば、必ずわが師あり』
―三人行、必有我師焉―
 

<論語> 

「かりに何人かで一緒に仕事をするとしよう。私にとって彼らはみな先生だ」となる。別な解釈もあるが、今はそう解しておく。孔子はこう語ったあとで、つぎのように付け加えている。

「その善なる者を択びてこれに従い、その不善なる者にしてこれを改む」
すぐれた人からは積極的に学べるし、劣る人は私に反省の材料を与えてくれる、というのだ。

先にも述べたように、孔子という人は、貧しい家庭に育ち、早くから自分で働いて生活の資(もと)をかせがなければならなかった。言わば、生活の苦労をつぶさになめて育った人である。

そういうなかで孔子は、学問で身を立てようと決意した。だが、貧しい少年には先生について学ぶことなど不可能である。かれの先生は周囲の人々であり、見たり聞いたりすることが、みな勉強の材料となった。

注:三人のうちの一人は自分である。他の一人は善、もう一人は悪である。その善を見て従い、その悪を見て改める。だからこの二人はわが師であるという。論語に「子曰く、三人行えば必ずわが師あり、その善者を択びてこれに従う、その不善なるものは、これを改む」

※ かれもまた「他山の石」で自分を磨いたのである。

 

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  守屋 洋 (著)
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