『欲あれば即ち剛なし』
―有欲則無剛―
 

<近思録>

 「剛」は、「柔」の反対。"かたし"とか"つよし"と読ませる。ためしに、「剛」に関する熟語を拾ってみると、剛穀、剛健、剛直とある。

 「剛」のつよさは、同じ強さでも、自分が正しいと信じたことはあくまでも主張して譲らないつよさ、あるいは、烈しい嵐にピクともしないでそびえ立っている木の強さ、このようなイメージに近い。

 むろんこれは美徳である。だが、それも私欲があると、失われてしまうのだという。なぜならば、私欲にひかれて妥協に走るからである。

 『論語』に、こんな話がある。あるとき孔子が 「吾いまだ剛なる者見ず」と嘆いたところ、「申棖(しん・とう)という男はどうですか」と聞いた者がいた。孔子はこう答えている。「棖や慾あり。いずくんぞ剛なるを得ん」
 
※ あの男には欲がある。あれじゃ剛にはなれんよ、というのだ。「近思録」のことばは、この一節を受けているのかもしれない。

 

茶臼山古墳的 日々是好日-t02200304_0376052011084550423  中国古典一日一言 (PHP文庫 モ 1-4) [文庫]

  守屋 洋 (著)
  文庫: 409ページ
  出版社: PHP研究所 (1987/12)
  ISBN-10: 4569563805
  ISBN-13: 978-4569563800
  Amazon.co.jpで詳細を確認する