
先日、友人が銀杏をたくさん持って来てくれたので、茶碗蒸しを作ることにしました。去年作った時、固すぎたことを覚えていらので、今回、柔らかめに作ろうと思いました。目分量で適当に作ったところ、中が全く固まっていませんでした。


夫は「味は美味しいのに、何でかな?」と言うので、私は「土瓶蒸しと思えばいいのよ。高級料理よ」とつい言ってしまいました。

すると夫は「もうこれから、茶碗蒸しは作らなくていい」と言いました。私は「年に一度しか作らないものは上達しないよね。あー良かった。これで作らなくなって。」と喜びました。その夜、夫は「シドニーの新婚当時、上手に茶碗蒸し作っていたよ。」
と言うのですが、私は全く記憶にありません。年を取ったのでしょう。
きっと、シドニーだったから頑張ったのでしょう。ここは日本です。いつでも茶碗蒸しは食べられます。それにもう新婚ではありません。私の本音が出てきたのです。繊細な手間暇かける料理は性に合わず作れません。

「彼女は畑を調べて、それを手に入れ、自分がかせいで、ぶどう畑を作り、腰に帯びを強く引き締め、勇ましく腕をふる。」
(箴言31:16,17)
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