彼の誕生日10時。
まだ、言えないHappy Birthday。
きっとコイビトは彼の部屋にいる。
彼のルームメイト君から電話が来た。
「彼のコイビトは、もうすぐ帰るから、遊びにおいで」
ルームメイト君の話す後ろから、
彼のコイビトの声が聞こえる。
行かないよ。
カノジョ、後ろにいるでしょう?
声が聞こえるもん
「大丈夫、もうすぐ帰るって、言ってた」
わたしが来るかもしれないから。
でしょう?
「そう」
じゃあ、行かないよ。
わたしが行くなんて言わないでよ。
「なんで?」
彼がお昼に帰ってきて、カノジョがいないとさみしいでしょう?
代わりにわたしがいたら、
わたしのせいで、
カノジョが帰ったって思うでしょう?
わたしのせいでって思われる。
わたしが悪いって思われる。
わたし、またどんどん嫌われちゃうよ。
「来るといったじゃん」
今日って言ってないよ。
・・・彼にはもう、お誕生日おめでとうって言った?
「昨日の夜、みんなで言ったよ。 カノジョと友達いたよ。」
そっか。
「ちゃてぃちゃんは、まだ言わないじゃん。」
そうだけど。
「前、また来るといって、約束したでしょ。
そうだけどもさ。
「もう、カノジョ帰った。」
押し問答の末、
結局、
彼らのアパートへ行くことになった。
もしかしたら、顔を見られるかも。
会えるかも。
笑ってくれるかも。
って言う、期待を抱いて。
彼のルームメイト君の部屋で、待つ。
彼の帰りを、待つ。
「帰ってきた」
言われなくても、わかる。
ドアの開く音
階段を上る足音
廊下を歩く音
ドアの開く音
ヘルメットを置く音
靴を脱ぎ、フロアに足を下ろす音
彼の部屋のドアを開ける音
障子1枚を隔てた向こうにいる彼の姿を
心の目で、追いかける
「おめでとうって、言って」
ルームメイト君に言われて、
現実に返る。
障子の向こうから、
彼のちょっと命令口調の声が、聞こえている。
なんで、アイツがいるの?
コイビトはどこへ行ったの?
動けない。
立ち上がって、
数歩歩いて、
半開きのカーテンを開けて
たった一言
オメデトウ
って。
怖い
怖い
怖い
さっきまでの不安が頭の中をぐるぐる回る。
カノジョが待っていると期待して帰ってきたのに、
代わりにわたしがいる。
アイツのせいで、
カノジョが帰った。
せっかくの誕生日。
アイツのせいで
楽しさが消え去った。
アイツのせいで。
アイツがいなければ、
良かったのに。
彼の心の中の声が
どんどん大きく聞こえ始めて。
手の震えが、止まらない。
ルームメイト君は
そんなわたしを見て、言った
「トクベツなヒトでしょう」
そんなことないよ。なんて
否定する必要はない。
ルームメイト君は知っている。
全部、知っている。
うん。
「じゃあ、行ったほうがいい」
うん。
わかってる。
でも。
いけないんだもん。
「そうか。トクベツなヒトだから、行けないか」
ただ、うなずくだけのわたしの頭を
いい子いい子
って、なでてくれる。
「トクベツなヒト でしょう?」
うん。そうだね。
彼の声を聞きながら、
彼の動きに耳を集中させながら
ガシャン
お昼休憩が終わって、
仕事に戻る彼が部屋を出て行く音を聞く
ルームメイト君は
タバコの煙ごしに
わたしの動きをじっと見つめている
「トクベツなヒト、行っちゃったじゃん」
うん。
そうだね。
彼の仕事が終わるころ、
きっとコイビトは戻ってくる。
だから
だから
その前に。
ここから、消えなければ、いけない。
帰らなくちゃ。
帰るね。
ルームメイト君にそう言って、立ち上がる。
さっきは動かなかった足が、
簡単に動く。
「スーパー、行きたい」
帰りたい・・・
「来たばかりでしょう」
そうだけど。
結局
わたしは、
彼のアパートから
逃げた。
Happy Birthdayは、言えないまま。