ほぼ日メモ



「打つ手がまったくない」ということは、ない。
 「千里の道も一歩から」なのだから、
 頭から汗どころか、血が出るほど考えろ。
 ぼくは、よく、そういう考え方をします。

 「へたに動かないほうがいい」ということは、ある。
 「犬も歩けば棒に当たる」ということは、ある。
 「天は我が身を助くるものを助く」ということはある。
 「果報は寝て待て」ということもある。
 ああすればいい、こうすればいい、と、
 昔から人はいろいろやってきたのですから、
 いろんなヒントがあるものです。

 状況に応じて、まったく逆のことも言えるものですが、
 止まることも、戻ることも、曲がることも含めて、
 「打つ手がまったくない」ということはない。
 これだけは、ほんとだと思います。
 
・前にも書いたことがありますが、
 2010年の夏に起こった「チリの鉱山落盤事故」のこと。
 地下の坑道に閉じこめられた人々が、
 18日間も、地上との連絡ができないままだった‥‥。
 会社を訴えるとか、誰かのミスを責めるとか、
 そんなことをしていても、なにも解決しない。
 でも、息をし続けること、心臓を動かし続けること、
 地上に出たいと思い続けることが、
 結局は「地上」とのつながりを得たわけです。
 最も策の練りようのない場面でも、
 「生き続ける」ために考えることがあったんですよね。
 「打つ手がまったくない」ように思える地の底でも、
 まったくないわけじゃない、だったのです。

 まぁ、悲観主義者は、言うかもしれません。
 「そのまま、発見されずに、死を長引かせて死ぬ‥‥。
  その可能性のほうが高かったんじゃない?」
 そうかもしれない、そうなったのかもしれない。
 あなたが、そう考えるのは自由です。
 でもね、ぼくは、言うでしょう。
 そんなふうに悲観しながら生きる練習を、
 ぼくらは、してこなかったんだよ。
 
◇心は失っていない

 5月29日の昼下がり。三陸海岸の広田湾に臨む高台に和太鼓がとどろいた。「がんばろう陸前高田・太鼓コンサート」。バチを振る新田佑君(10)の雄姿に、父親の貢さん(48)が目を細めた。
  妻と2人の娘を奪った津波から79日。仮設住宅の完成を待ちわびながら、父子2人で避難所暮らしを続けてきた。佑君は以前と同じ小学校に通う。会社が被災 して解雇された新田さんは、同じく父子家庭となった吉田寛さん(33)に誘われて、仮設住宅への電気製品の搬入と取り付けのアルバイトを始めた。
 新田さんに聞いてみた。「町を離れたいと思いませんでしたか」。間を置かずに答えが返ってきた。「隣町の妻の実家で両親と暮らすことも考えましたが、佑から同級生まで奪ったらかわいそうだし。津波から逃げるようで、しゃくじゃないですか」
  新田親子と出会ってひと月余り、その表情に随分と笑みが戻ったように思う。「何が変わったのでしょうか?」。少し考えて答えてくれた。「開き直りかな。悲 しみは消えないし、もがいても故人は帰って来ない。だからといって僕がくよくよしていたら、佑もしんどい。じゃあ、僕自身の生き方を変えるしかない。そう 思ったんですね」
 太鼓の演奏を終えた佑君は、吉田さんの長男の芳広君(9)と鬼ごっこをして歓声を上げている。「佑が一番ママ似。『おへらさん(おしゃべり)』なところはパパ似」なのだそうだ。
 最後に新田さんから聞いた心に残る言葉を記す。
 「僕たちは津波で大切な家族を失ったけれど、心まで失ったわけじゃない」「いずれ妻と娘のところに行けるわけだし、せっかくなら佑との楽しい土産話をたくさん作りたいと思っています」【萩尾信也、写真も】=この項おわり


私は何がしたいのだろう。
もしかしたら明日終わるかもしれないのに、
やりたいことやっているのか。

決してPRが合っていない、とは思わない
真髄を知らないまま終わりたくない。

だけどこのままずっと、ここに居ることはない。

私は誰かのために居ることが、
自分の原動力なのだから。



今日、宮城県から帰ってきた。


地震があってから、右往左往していた。
ずっとふらふらと、気持ちがういていた。

この仕事をしている意味が、わからなくてしょうがなかった。

直接的な仕事をしたいわけじゃない。
ただ、有限な時間を有効に使えているのか、全く核心がなかっただけ。

いろんな理由を並べて、行けない行けないと言っていたけれど、
せいじろうから言われて、変わろうと思った。
自己満足でもいいから、自分の目で確かめたいと。


正直、わからなかった。
思ったよりもすごくなかった、イメージしていた通りだった。
もういろいろな道が舗装されていたしね。


ただ、やらなきゃいけないことはわかった。核心。


まず個人レベルとして、私は震災を忘れない。
今、この時代に生きていることに責任を感じて、
震災後の現在をどうしていかなきゃいけないのか、一緒に考える。

私の役割は発信していくことだと思う。

同年代含め、色々な方が震災を忘れないように。
どう行動していけばいいのか、考えてもらえるように。
方法を提案したり、
現状を発信したり、
自分の行動を発言してみたり、
私の影響力なんて微力だけど、
発信したことで忘れないでいてくれることは確かだと思うから。
それって、新聞的な役割と一緒かもしれない。
もっとわかりやすく伝えられるように、目的は一つ。
忘れられることを防ぐ、みんなが考え続ける、それだけ。

ボランティアは必要だと思った。
だって、あんな状況じゃ、何年経っても終わらないから。

現地の人が本当に何を望んでいるのか。
私たちは与える支援と、現地の人たちを動かす支援の両輪で動かなければいけないと思う。


個人じゃ解決できないことが、山ほどあると感じた。
だから、政治や経済レベルで震災に関わっていくことも必要。
そのためには運動やデモもありかもしれないけれど、
それよりは同じ考えをもつ政党や、政治家を応援するだけでも違うと思う。

じゃあ私は、今の震災の現状に何を求めるのだろうか?

住まい?市の復興?復職支援?教育?
いろんな問題があることを知り、勉強しよう。

それを発信する。
それだけで、また周りのみんなが変わってくれると思うから。


20代代表として、
私は震災に微力ながらも関わっていきます。

ブログで発信していこうと思います。

よろしくお願いします。