先月からまとめ始めた私の2018年旅行記も4月の記録から始まってようやく今回で10月末。
気が遠くなったけれど、貴重な時間を犠牲にしてやっとここまで(?)追いついてきた!
ってなわけで、これからしばらく皆様にお付き合いいただきたいと思っているのが
10/20(土)~10/30(火)の10日間、
私の兼ねてからのソウルメイト(笑)である
大好きなナンシーさんがついに満を持してドイツにまで駆けつけてきてくれたお話!!!
↑顔出し?All over the world OKよ!!!
と許可もらったのでバンバン載せてゆきます。(笑)
既にインスタなどで世界中に顔を公開してるから、とのこと。
多分このブログでは初登場(?)なはず。
本題に入る前に簡単に?彼女をご紹介。
ナンシーさんは何人なのか?
正真正銘の日本人である。
本名はヒロミちゃん。
ではなぜ人は彼女をナンシーと呼ぶのか?
それは、今の風貌からは想像し難いけれど私たちが出会った10代の頃、彼女は映画『シド&ナンシー』のナンシーにそっくりだったからだ。
あの頃、私たちが10代で出会ったバイト先(名古屋のライブハウス・ボトムライン。(笑))では既に、彼女を苗字や名前で呼ぶ人はいなかった。
大人から子供(?)まで、どの部署のひとたちも彼女をナンシーと呼んだ。
誰一人として、彼女をナンシーと呼んで意義を唱える人はおらず
(むしろ全員、ああ!なるほど!と頷いていた。)
金髪にバンギャル的なメイクの生かしたナンシーそっくりだった。
他にもジャニス・ジョプリンや、バイト先に葛城ユキがライブハウスにきたときにも
彼女に似てる!!!という声が飛び交っていた。(笑)(どんな10代なん(笑))
そう。今ではすっかり綺麗なお姉さんだが、出会った頃の彼女といえば、マジで
ボヘミア~ン!!!な10代だったのである。
ナンシーさんが髪の色を落ち着かせた時代には、
漫画のNANAだとか、NANAを演じたときの中島美嘉に似ているという噂もあったのだが、
私も出会う前はピンク色の髪の毛にベリーショートだった時代もあったと聞いた。
根っからのパンクギャルだと信じて疑わなかった。
彼女は私よりも学年が1つ上だったし、
バイトでも半年ほど先輩だったので、
いわば我々は先輩・後輩の関係。
この関係性は一生変わることはないと信じてる。
なのでもちろん敬意を表し、以後私はずっとナンシーにさん付けで呼んでいる。
(そして以後はナンさんと呼ぶことにする)
とまぁ、見た目はそんな感じでぶっ飛んでるけど(まぁライブハウスだもんね。)
仕事はできるし、よく気付くし、
無知な私に色々教えて下さったし、毎日おしゃれをぬかりなく、
黒光りした長い爪をしてるのに、
全く気にせず誰よりも率先してジャブジャブ水場の仕事や掃除をしたり、
軟骨まで開けたピアスをじゃらじゃらいくつも光らせて、
いつもゴツいアクセをしながら、
誰よりもきめ細やかで繊細な心を持って仕事をしていた。
そのギャップがいろんな意味で
当時の私にとってはまるで遠い世界の人のような存在だったわけで、
この人めちゃくちゃいい人なのだけど、
プライベートは手がつけらんないんだろうなぁと思わせる何かもまたすごかった。(笑)
学生時代からハーレーを乗り回して、一人で夏休みに北海道をツーリングしたり、
どんな若いオンナいじりを生き甲斐にして、自分の自慢話ばかりを繰り広げるような酔っ払いオヤジですら一目置くような趣味嗜好の持ち主で(笑)
音楽マニアを豪語するソウルやブルース、ロック好きなおじさん達すらリスペクトを置くほどの博識っぷりと酒のチョイスがすごくて、良いオンナだと賞賛を与えられ続け。
馬鹿みたいにすぐムキになる、狭いフィールドで生きてた私らよりも精神的に一歩も二歩もオトナでもあった。
まあ私の知っている女子の枠を大いに超えて大きな影響を与えてくれた存在。
そして途中から気付けば本当にジャニスの生き写しのようなヒッピーの風貌で2000年代を生きていた。
なのに、中身はめちゃくちゃ気さくでオモロー、
竹を割ったような性格で、B型。
そして大変気遣いの人で謙虚であり
突拍子もない私の提案にノリよくどこまでも付き合ってくれたり
ばかばかしい妄想劇を一緒に大笑いしたり、
大きな夢を語ったり、
いっぱい馬鹿な青春時代を一緒に過ごした人。笑
2003年頃の謎の写真発見。(笑)
写真前方右側ナンさん。後方右が私。(笑)
そんな私たちは
学生時代からグダグダと管を巻きながら毎日今池の飲み屋街を徘徊し続けた青春時代。
あのとき学業放っぽり出してバイトに明け暮れてたけど、
そのお金管理できず全て飲み代に消えてたな…。(そのうち飲み代も払えなくなって常連のバーには水道水だけで席を陣取ることも一度や二度ではあらず。まもなくそのバーは潰れてしまった。)
唯一飲み代以外に使ったのは、必死に貯めて一人旅したフランクフルト&ザルツブルクなどなどのヨーロッパ旅行だったよ。
あのときの景色といえばバーかヨーロッパか、なんだけど、今ではその街を毎日通勤してんだもん。人生不思議なもんだ。
あの頃、なにをそんなに悩むことがあったんだろうねと言うほど、悩みをこねくり回しては飲んでナンさん達とダベってたな。
今から思えばただ単にそれが楽しくてやりたかっただけなのかもしれない。(笑)
本当にダメダメな時間を一緒に過ごしたけど(笑)幸せだと思ってる。
↑2008年。今から10年前。ナンさんに、明日東海大地震が来るからもうお酒飲めなくなる&お金今のうちに使わないといけない!!と誘われて所持金200円で合流したときの話を記録しているのを発見…
今ではあのバンギャルから
すっかりサーファーになって久しいけれど。
全く世界観が違うのに、ずっと仲良くしてもらっているのである。
昔から呼び出すといつもすぐに駆けつけてくれる人で
そういうところも含めて昔からずっと大好きなひとなんだけど
(昔からいつも「今◎◎で飲んでますけどきてください!」といえばきてくれたし。
「連絡遅れてごめんなさい!実は明日からドイツに行きます!」「今日本にいて明日ドイツに帰ります!」と、いつも直前も直前に唐突に連絡するような私のもとにもいつも駆けつけてくれる。
だから私はナンさんと最終日に会う、ということが多い。忙しいひとなのにいつもすみません!)
そして今回は、ずっと日本帰国のたびに、
一緒にドイツでビール飲みましょうよーーー!!
絶対いいですよーーー!
ドイツ楽しいですよーーー!!
とナンさんを誘惑していたのだが、
本当に実現して、来てくれた!!!!(感涙)
そこもさすがナンさん。なのである。
いやー。色々ありすぎたけど、すっごく楽しい10日間だったーーーー♪♪♪
それをこれから書くとどれだけの量になるのか
(自己紹介だけでこんな量)またまた気が遠くなりそうなのだけど・・・。
トライしてみようと思う。
まず10月20日(土)。初日。
15時頃 ナンさんはLH便でドイツ・フランクフルトに初上陸。
しかし私はその日コンサート本番で
早々にフランクフルトではなく、隣街のWiesbaden(ヴィースバーデン)の会場入りをしていたため、
しょっぱなの、一番不安なときに空港まで迎えに行けなかった。(ゴメンナサイ!)
フランクフルトの空港は市内に出るのが大変なので
過保護で心配性な私は、旅行会社の日本語ガイドや車をつけることをおススメしたのだけれど、
ここはやっぱりたくましい我がソウルメイト。
一言もそれに対して文句を言うこともなく、
初ドイツにして(ヨーロッパもパリのみ15年ぶりとのこと。)
到着早々、自力でタクシーを拾い、ここヴィースバーデンのコンサート会場までアウトバーンをすっ飛ばしてきてくれる。(さすがである。)
いやー。最初にしていきなりハードルが高いことをしてのける!
私もフランクフルト空港、昔、初めて来たとき彷徨ったもの。
フランクフルト市内にようやく出れたのが2時間後。
そんな苦い思い出があったので心配してたんだけど。
ましてやフランクフルトじゃなくてヴィースバーデンだしねー。
(実はヴィースバーデンも空港挟んで反対側で同じぐらいの距離なんだけどね。)
・・・ってなわけで、乗り込んだタクシーがまた、
英語も通じず、全く道を知らないタクシードライバーで、
なんだかんだと道に迷いながら
(早速コンサート前リハーサル直後、ナンさんから助けてー!!と
電話が入り、私とタクシードライバーで大声で電話して会場まで来させる。笑)
あと5分以内に着くはずところにいるはずなのに、その後も15分は彷徨ってたけど。
16時頃、会場前にてなんとか無事合流。
到着して早々、みんなでカフェに行こうと
出演者のみんなや私の歌の先生、旦那さんなどと共に連行される。(笑)
いきなりわけのわからん土地で、見知らぬ人たちといきなりカフェ。そしてドイツ語の洗礼!!!
こういうのも付き合えちゃうナンさんは本当にナンさんらしくて安心する。(笑)
そして再集合時間まで私達二人だけになりしばしヴィースバーデンの旧市街をぶらぶら散策。
しょっぱながフランクフルトじゃなくてヴィースバーデンだったのが良かった!
フランクフルトは無機質だけど(笑)ヴィースバーデンはもともと温泉保養地。
お洒落な街並みなのでブラブラするのも刺激的だったよう。
・・・といっても18時には会場に戻ってこなければならず。
去年同様、今年も私は着物のリクエストがあったので
(去年は完全に浴衣だったが。)
げーーー。ただでさえ歌うの大変なのに着付なんて嫌だし、
着付するだけでも嫌なのに、歌う前に着付けるの超大変!!
と内心憂鬱だったのだけれど
「私、着付け手伝おうか?」
というナンさんの一言で、
え!!!????できます???? とお言葉に甘え、
(さすが服飾ひとすじ!ファッションデザイナー!!着物も動じない!!)



このようにしっかりと着付けてもらったばかりでなく
ヘアスタイルもアップにしてもらい
このように無事にステージで着物を披露することができた。
このステージについては本当に色々あったので、またおいおい詳しく書きたいと思う。
(今回は割愛!)
コンサートに間に合うようにわざわざ駆けつけてくれたナンさん。そういうところも本当にナンさんぽくて嬉しいのである。
コンサートは大盛り上がりし
(ナンさん時差ボケ大変なのにはるばるSorry!!)
ナンさんを打ち上げにまで連行。
(そしてやっぱりついて来てくれる(笑))
打ち上げ会場はカジノハウスの有名な老舗ピアノバー。
本当は翌朝からの旅に備えて打ち上げには参加せずに寝たかったのだが・・・。
私のドイツでの父母代わり?の歌の先生が
車で送り迎えをしてくれており。
その二人がいいお店だから打ち上げに参加する!と言っていたため、強制連行。(笑)
打ち上げは深夜1時までに及び、
出演者はまだまだ終わりそうにもない勢いであったが、
私達は翌朝5時すぎにザルツブルクに向かって出発するから!と告げて早退。
先生の旦那、Frankがナンさんの宿泊先のAchatホテルまで車で送ってくれ、
(深夜1時半~2時ごろ、ようやくナンさんは初めて自分の宿に到着。)
じゃ、4時に私の家の前に来るようタクシー予約してるから、
大きい荷物置いていって準備しといてくださいねー!
では2時間後に!!!
と言って別れを告げる。
そうして一睡もせずに荷造りし、2時間後。
真っ暗な中、ザルツブルクに向けて二人は再会を果たすのであった・・・・。
続く。