今日で渡独から1ヶ月。
※3月3日ピアノコンツェルト。アルテオーパーにて。
時間の流れの感覚がとても不思議。
あっという間なような、
1日1日が濃すぎてもっと長くいるような。。。
ちょっと色々どうにかしなきゃと焦りもあるし、
なんだ、まだ1ヶ月しか経ってないのね、
と少しホッとするような気持ちもある。
1ヶ月前まで、バタバタと喧騒と多忙の中を荒々しく生きていたなんてまったく信じられないほど楽しく平穏な日々ですもんねψ(`∇´)ψ(笑)
いつものようなヨーロッパ旅行なら、
これぐらいの時期にはもう帰らなくちゃー(T_T)帰りたくなーい(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)
鬱になるーーーーー!!!(T_T)
と、後ろ髪引かれまくってる頃。
…この1ヶ月という月日を振り返ってみて思う。
そりゃあ。。。私にとって、1ヶ月や2ヶ月の旅行なんて、今まで短すぎたよね。
よく1ヶ月の間に何ヶ国も詰め込んで旅してましたね、私。
(あんなせわしい旅は今となっては当分やりたくないわー。)
1ヶ月経った今ですら、色々始めるには時間が足りない!!もっと!もっと!!
って欲求ばかり募って焦ってるもの。
1日1日を大切にしなくちゃ!!
他の人の何倍も、すべてにおいて詰め込みまくらなくちゃ!!
それにしても
この1ヶ月を振り返ると、
自分でも予期していなかった、
想いも寄らぬ展開だらけで本当にすごすぎました。
3日後には私自身のPrivatレッスンが始まって(毎週火曜日の11時半)
今までやったことのなかったようなドイツ語独特の口の開け方で顔の筋肉が疲れて、
木曜日の夜はある方にドイツ人のマダムのお宅に歌のレッスン指導をされるのを見学して、それどころか一緒にレッスンを受けさせてもらって(それ以来毎週)
その次の日には音楽院の先生を紹介していただいて、その場でレッスンを受けて、
あれよあれよと言う間にその1週間後には音楽院の試験を受けることになり、
久しぶりのドイツ歌曲を2曲必死で練習した。
この一週間はちょっと必死になってて
久しぶりの緊張感に神経が研ぎ澄まされていた。
そしてなんとか音楽院のあるコースに滑り込むことができ、
4月から音楽院のメゾソプラノの先生から歌を勉強する機会に恵まれた。
4月からは音楽院で歌のレッスンに通います!!
現在は、
平日は毎日語学学校に通う傍ら、
10年以上、弱かったくせにほっといたドイツ語のディクション(発音)を1から徹底的に修正•猛特訓してもらうことになった。
(小学生、中学生の頃からずっとドイツ語のその繊細で美しい響きに憧れ続けてる。だけど自分の発音はその理想から程遠かった。)
そして毎日のように、
ずっと大好きだったドイツ歌曲の緻密で繊細なディクションを教えてもらっていて、
歌以外にも、ドイツ語会話を、
語学学校以外にプライベートでマンツーマンで習って教えてもらっている。
…ざっとここ最近の流れを報告すると
こんな感じ。
…なんでこんなに他人事みたいに淡々としてるかって言うと
なんだか本当に他人事みたいで自分で自分が信じられないからです。
これを機に、
ちょっとマジメに振り返ってみようと思います。(自分の記録のために。。。)
もともとドイツに来ることは遥か昔から決めていたけれど、
お恥ずかしながら、
ここ近年は、ここまで最初からいきなり音楽漬け、歌漬けな生活になるなんて思ってもみませんでした。
それは難しいだろうと、諦めていました。
数年前から、
いつかまた以前みたいに
歌を歌いたいな。
と思うようになりましたが。。。
それは淡く甘っちょろい希望でした。
以前だったら、そんなぬるい考え方、考えられませんでした。
色んな意味で、あの東日本大震災前までは。
歌が人生の中心にないと、自分を保てませんでした。
でも、この数年、特に震災以後は
本当に色んなことがあって、音楽との距離、付き合い方が本当に難しかった。
以前のように環境的にも心境的にも音楽に没頭し、歌と共に生きる生活をまったく出来なくなってしまい、
こんなはずじゃなかったのに、
もう無理だな、本末転倒になってしまったなぁって、
自分をどこかで否定し続けていたのです。
音楽に対してここまで落ちぶれてしまったダメダメな私は、もう音楽に明け暮れる生活なんて許されないし、
どんどん下手くそになっていく一方で、
このままではそれをとめる術もないと。。。
半ば堕ちてく自分をそのまま見送り続けていました。
そんな私の様子をみて、
叱咤激励のために
中途半端な私の歌なんて誰も求めてないし、誰も必要としていない、
そんなんなら無理にやらなくてもいい、とある方に叱られました。
悔しさ半分、そりゃそうだよなぁと半ば納得もしてしまいました。
でも、頭では分かっていても、心がついていかなかった。。。
日本で大きな災害が起こったときに、
人のお役に立てる即戦力になれなかった自分。
何のために自分が存在しているのか分からなくなって、
私が歌うことよりも、
周りの人のお役に立つ仕事をした方が世の中のためになるんじゃないか、とか、
私の存在する意味もあるんじゃないか、とか
私が中途半端な気持ちで歌を続けたところで単なる自己満足で、
仕事にも支障が出るし、
世間にも求められていない。
だったら
今のままだったらいっそのこと
辞めてしまって、
今求められていることを全力でやった方が世のため人のため自分のためなんじゃないかと
本気で思うようになりました。
そう思うと、
歌に対する気持ちも、
嘘みたいにどんどん離れていってしまったのです。
この数年、そんな状態をずっと行き来してました。
むなしかったです。
でも、長い長い間、
ずっと、
心の奥底で、1番やりたかったのは結局音楽だったんでしょう。
心のどこかで、必ず何かのきっかけを掴んで音楽に戻ろうとは思っていましたから。
完全に切り捨てることなんて出来なかったです。
それほど大切で、私の核になる部分。
離れていた間も、
潜在意識の大海原の中で、
想いがまるで火山灰のように降り積もって堅い岩ができるように、
私の心の中には長年の想いが蓄積されていたのだと思います。
そして、
これから、どうしようと思っていたところでした。
ドイツに来て、1から開拓!?
言葉も出来ないうちから、そんなこともできるわけがない。まずは語学を頑張ろう、
そしていつか。。。どうにか。。。
…なんて。
漠然と思っていたのですけれど。
今回ひょんなことから、
こんなことになってしまって。
自分が1番びっくりしています!!
(これはもともとこうなる運命だったのかどうか自分でももう分からないけど、そんな気がすごくする。)
ずっとずっと夢を思い描いていました。
大きなオペラももちろん歌えるようになりたいけれど、
それ以上に大好きなシューベルト、シューマン、ブラームス、ウ"ォルフのドイツリートのそれはそれは美しい調べを、
想いのままに、歌えるようになりたい!!
と。
うまいねと褒められたいとか
賞賛を浴びたいとか
有名になりたいとか、
どうこうなりたいとか、
そんなものではなくて、
ただただそれらの曲の持つ荘厳で神聖な響きに心の底から感動していた。
ただ純粋なその想い。
私の原点はもともとそこにあります。
そのことを忘れて、
別のことを考え出すようになっていたから、
ボタンを掛け違えてしまって、
歌うことにうまく向き合えなくなってしまったんだなぁー。
と、改めて想います。
世の中には何千、何万と、
世界各国にそれはそれは素晴らしい曲たちが存在しています。
クラシックの世界も、歌なんて数えきれないぐらいあって、
一生かかってもその一部としか出会えないのに、
今回、
なんとフランクフルトに来てみたら、
ピンポイントで私が最も愛してやまないジャンルと曲、
そしてピンポイントで私が欲していたもの、勉強したかったことに辿り着いてしまいました。
フランクフルトに来たことも、
たまたまなのか何なのか。
半年前まではフランクフルトなんて考えてもいませんでした。
それなのに。
私自身が自分からガツガツ動いたわけでもないのに、そのことが、本当に本当に不思議でならないのです。
神秘的な力に引っ張られているのを感じます。
ドイツ歌曲における、ドイツ語の発音は
ウェディングケーキのデコレーションや飴細工、フランス料理の美しく繊細な盛り付けだと思ってください。
味(素材、声)がどんなに良くても、
発音が悪いと、それだけでザツーで大雑把で大作りなケーキになってしまう。
私はずっと、味はイケると思うけど、見た目は悪いよねー。とか、
見た目は悪いけど、まぁ味は美味しいよ、とか。
食べてみるとまぁ独特な味だけど、うん、いいと思うよ、私は嫌いじゃないけどね。もぐもぐ。
みたいな歌の仕上がりでした。
自分でもそのことは、ごまかしようがなかったです。
私自身も耳の良さには自信がある方なので、
自分の発音がうまく出来ていないことは自分の耳で分かっており、ずっと苦しんできました。
ドイツ語の発音を究極に突き詰めると、
うわー( ´ ▽ ` )ノなにこれーー!
言葉の芸術ーーーー!!
この世のものとは思えないぐらい綺麗ーー!!!ってなるのよ♪
(すっごく緻密で細かいデコレーションケーキや画家のカナレットのそれはそれは繊細な作品、バレリーナやフィギュアスケーターがどのポジションでも手足の末端、細部にまで真心が行き届いているような作品たちを見たときと同じ感覚です!!)
ずっと出来なかったけど、
憧れてた。
そしたらそれを同じ想いと理想を持って遥か昔から突き詰めており、
私のずっと、もっとうんと先を歩いている方が、
この出来損ない•発展途上である私の
底の底で光っているらしいものを
見てくださって、買ってくださって、
惜しみなく細かく、丁寧に、
これでもか!!というぐらいに毎日のように教えてくださるので、
ここにきて、
ついに初めて日本人ぽくない?本物のドイツ語の発音が、この私にも出来るようになるかもしれません!?
これは本当に嬉しく、
そして驚くべきことです!
今は大きな曲をたくさん歌うのではなく、
小さな短い曲でいいので、それに徹底的に集中していきたいなぁと思います。
…さきほど、この数年は
ずっと燻っていて音楽とうまく向き合えなかった、とお伝えしましたが、
そんなわけで、
私はその数年を氷河期と自分で呼んでいます。
でも、その時間も今となっては大切だった、
と思いたい。
そうなったからこそ得たことだって、
きっと今後に生きていく。
だって、
そうなる以前は、
自分の心の中のふかーい部分で長年燻っていた重たいかたまりがありましたから。
それは自分の歌や声へのコンプレックスなのか変なプライドなのか、なんなのか分からないところでグチャグチャしていたもので、
過去のトラウマだったり劣等感だったり、
恐れや不安だったり。
そしてそれらに相反して我とか欲とか執着心とか葛藤とか焦りとかのギラギラしたものだったり。
そんなわけ分かんない嫌~~~な塊が、
数年音楽と気持ちを切り離している間に
すっかり無くなってしまい、
ある意味心の中が平坦で平和?無味乾燥?な数年を過ごしていました。
(むしろ色んな社会経験を経て、そこにしがみつくことに価値を見出せなくなってしまい、普通の一般的な生活をしていた。)
私はもう、全くそれとは関係ないところでこれから生きていくんだわーとぼんやりと思っていた日々が数年続いていたせいで、
(おかげで)
気付けば、
今の私は、
自分や自分の声に対する要求も
プライドも執着も全くなくなってしまいました。
下手でもなんでもいいや、と、
今から思えばあれは自暴自棄だったのか何だったのか。
ここ数年、誰も私が歌うことを求めていない(別のことを求められていましたけど)環境に身を置いてみたら、
当たり前のことですけど、
あれっ。全然私の歌とか良い声で歌うこととか、周りから求められてないじゃんっ!!
ということに、お恥ずかしながら今更ながらビックリしたりして。
歌中心で生きていた頃は
うまく歌えない自分なんてとんでもないクズで、何の価値もないどうしようもないヤツだと思っていました。
だけど、ふと外の世界に出てみると、
誰も私がうまく歌うことなんて求めていない。
オペラやドイツリートの世界なんて誰も知らない。
むしろ、歌っていない、そのままの私自身を
温かく迎え入れてくれて
必要としてくれた人たちがいた。
それは私にとってとても必要な経験で、
でもそのおかげで、歌に対する余分な我欲だったり、
他人や周りに影響されてポキっと折れてしまったり、潰れてしまいそうな自分はすっかり影を潜めてしまった気がします。
歌う時に自分を邪魔していた、いやーな感情がすっかりと取れて。
いい意味でも悪い意味でも!?
自分の歌の良し悪しに執着しなくなっちゃいました。
ただ、その曲の持つ美しさをそのまま表現できるようになりたい。
今では、
こんなにニュートラルで能天気になってしまった自分自身に戸惑ってしまうほど。
なにかが間違ってどなたかが私や歌に関しての何かを褒めてくれた日には
え!私ですか?
そうなんですか?(*_*)
と、自分でちょっと驚いてしまう。
でもドイツに来てから、
ありがたいことに、
自分の野心や欲望のない、
自覚なしのところで、
周りの方がたくさんたくさん褒めて下さるので
(もちろん直すべきところの方が多いけど。)
ちょっと恥ずかしい気持ちと
恐縮してしまう気持ちと、
純粋に嬉しい気持ちと、
純粋に楽しい気持ちと。
歌ってなんでこんなに楽しいんだろう!!
私の魂が洗われて、
高みにのぼるような気持ちが、舞い戻ってきました( ´ ▽ ` )ノ
それは本当に小中学生の頃に私自身が感じていた原点です。
自分でもただただ驚いています。
神様、これはあなたの用意してくださった道なのですか??
私はまた何も考えずにただ一生懸命歌っていいのでしょうか??
と、毎日毎日心の中で想ってます。
(良いのですよ聖美ちゃん。と、神の声のお返事も毎回そのあと自分で演じてます(笑))
私に歌うことを赦されているのであれば、
自分から力んで無理にやらずとも、
きっと自然と向こうからやってくる。
だから、なかなか歌が思うように歌えず、
できない環境に無理に抵抗するよりも、
今は目の前の与えられたことを120%全うして、人のために一生懸命になればいい。
きっとそうしたら、今度は自分のためにやっていい。
そういう時期がきっと来るはず。
もし来なければ、それはそれまでだ。
それだけのものだったのだから、
無理に抵抗したり気張らずに、素直にそのことを受け入れよう。
そう言い聞かせて我慢して、
必死だったこの3~4年。
苦しい想いもたくさんしたけれど。
だからこそ、
自分の力ではなく、
私のために道をこうやって整えてくださったこと、
心が震えるほど、嬉しくて
感謝の想いで満たされて、
手を合わさずにはいられないのです。
まだまだ始まったばかりで、
未来への不安や疑いの心が出てくることもある。
どうなるんだろうこれはとドキドキしてしまうこともある。
本当にこのまま、何とかなるのかな??この生活。。。他のことも頑張らないといけないのでは??と
焦ってしまう気持ちもある。
でも。。。それらはちょびっとだけね(笑)
こうなったことにも大きな意味がある。
だから、
素直にまた1番やりたいことをやっていいんだな、これはと。
ゆったりとした気持ちで、
ただひたすら喜ぶことにしています。
…3月3日。
ドイツに来て一週間で、
日本人の初対面の方にコンサートのチケットが余っているから一緒に行かないかとお誘いいただき、
アルテオーパー(古いオペラ劇場という意味)にコンサートに行ってきました。
久しぶりのコンサート!
素晴らしかったーーー!
心が洗われた。
なんで日本ではこの近年、
こんな時間すら持てなくなっていたんだろう。(笑)
以前はこういうものも求めて求めて欲していたのに。
心が乾ききってしまっていて、
それは大人になって心が枯れたせいなのかなぁと思っていたけれど、
まだまだ自分にも音楽を聴いて、心があったかいもので溶かされていく、
そんな部分がまだまだ残っていたことにホッとしました。
内容は、ラフマニノフのピアノコンツェルトとラベル、リムスキーコルサコフなどのオーケストラの楽曲です。
本当に美しいメロディーとそれを奏でる音の波動。
上階で聴いていたのですが、
下から立ちのぼり、湧き上がってくる音のシャワーを全身で感じて、
なんともいえない感情が芽生えていました。
ドイツに来て、
またこうやって音楽が身近に用意されている。
今回だって、私が望んで行ったコンサートではなくて、
次々と素敵なものが目の前に現れて用意されていくだけ。
これは一体なんなんだろう。
この気持ちは一体なんだろう。
と。
そんなことをつくづくと感じたのです。
(先日のボエームもそうでしたけどね。)
子供の頃からずっと、多分20年近く前から、
ずっとずっとずっとずっとやりたかったことを、今の私がようやく手にしているんだなぁ。
諦めずにここまで来れてよかった。
始まったばかりの序章でもうこんなに満足してる。
もっともっともっともっと、きっとすごい展開が待っているはず。
それを楽しみに、感謝の気持ちで日々を過ごそう!
…数年前まで、
うまく歌えない私はクズでカスだと思っていました。
社会的に何もなく、ただ歌ってるだけのくせに、それがうまく出来ないときの自分は、何の価値もないと思っていました。
それが数年の月日を経て、
様々な経験をし、
素敵な出会いもあり、
素晴らしい仲間に恵まれました。
うまく歌えなくても何もなくても、
私は私でこのままでいいんだと思えました。
それは今でも思います。
うまく歌えない自分をクズやカスだなんてもう思いません!
人はうまく歌えなくたって楽しく生きていけます。それは私だってきっと、同じでしょう。。。
それでも、そばに音楽があることで
人生がそれ以上に幸せになって
キラキラ輝いて、
豊かさに満ち溢れていくのだと思います。
だから私は、この場所でこれから、
喜んで喜んで歌を歌って行こうと思います!
゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:
(※タイトルをクリックすると曲が流れます!)
シューベルト作曲
気高く優しい音楽(芸術)よ
我が人生が灰色に染まり
悩み苦しんでいたとき、
何度、あなたのおかげで
私の心はあたたかい愛で満たされ、
よりよき世界へと飛翔できたことだろう。
あなたの竪琴から流れる
甘く聖なる和音にため息をつき、
天国が私の目の前に開かれるのをみた。
気高く優しい音楽よ、
私はあなたに感謝している!
我が人生が灰色に染まり
悩み苦しんでいたとき、
何度、あなたのおかげで
私の心はあたたかい愛で満たされ、
よりよき世界へと飛翔できたことだろう。
あなたの竪琴から流れる
甘く聖なる和音にため息をつき、
天国が私の目の前に開かれるのをみた。
気高く優しい音楽よ、
私はあなたに感謝している!
゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.: