先日。
わたしが長年大好きで更新を楽しみにしていたブログに最後の記事がアップされました。

前に更新があってからちょうど1ヶ月。
しばらく更新がない事が気になっていたけど、コメもメッセージも送れない設定になってたので、気になりつつもどうすることもできずに悶々としていたんです。

なんとなく予感してたことが現実となっていました。



最後にコメ欄が開けられていたので、すぐにコメントしました。
「嫌だ!」←子供かっ

だって、納得できなかったんだもん!
あまりにも理不尽で悲しかったんだもん!

次々とコメ欄に寄せられる、悲しいという思い、寂しいという思い、それと同時に沢山の感謝の言葉。

わたし、最後の記事に寄せられたコメントぜーんぶ読みました。
読みながら、ずーっと考えてました。

彼女の決断を理解しなくちゃ。
納得はできないけど、決断までにいっぱい、いっぱい葛藤したであろう彼女の決断を理解しよう。
今も納得はしていないけど、そんな風に受け入れることしか、わたしにはできませんでした。

2度目のコメントをして、彼女に一番言わなければいけなかった、これまでの感謝と大好きを伝えました。





彼女の綴る優しい言葉たちに何度も救われました。
彼女の愛に溢れた言葉たちが大好きでした。
たまにクスっと笑える日常のお話か大好きでした。


わたしには出来ない優しい表現に、とてつもなく心惹かれたんでしょうか。
綴られる文章や言葉たちに癒されたんでしょうか。
うんにゃ!
何より大野智というひとりの人間への愛。
ひしひしと文面から感じられたからだと思います。
寂しいな…。




これまで何度か経験した人様のブログの終わりですが、初めて泣きました(T . T)
コメントしながら泣きました(T . T)
お返事読みながら泣きました(T . T)

頂いたメッセージは、スクショして残してあります。




お疲れ様でした!
ありがとうございました!




うっす!








ちゃとこです。






ブログって、中のお話が聞こえてくるお家みたいなもんなのかなって思ってます。


通りすがりのお家から漏れ聞こえて来る会話に興味を抱き耳をすませる。
大勢が集まるお家もあれば、小ぢんまりと集ってるお家もいろいろあって。

あまり興味を持つことがなく途中で去ることもあれば、何度も足を運びたくなる会話もあって。
色んな聞こえてくる会話に自分も混じりたくなって、気軽にお家をピンポンすることもあれば、一大決心をしてピンポンを押す人もいる。
一度きりでなく、仲良くなって何回もお家にお邪魔したりして。

話の合う者同士、全くではなくても同じ感覚を持つ者同士が楽しく会話できる、それだけのことならこんなに楽しいお家はないのだけど。

漏れ聞こえてる会話は誰の耳にでも聞こえてしまうから、たまにピンポンも押されて出たら土足でズカズカお家に入ってきた人に驚くことがあるんだよ。

みんなで楽しく朝のトースト焼いて食べてる時にいきなり挨拶もなく入ってきて「日本人の朝はご飯に決まってるでしょ!」って言われたり、朝ごはんのおかずに目玉焼きを食べてたら「卵は目玉焼きじゃなくベーコンエッグでしょ!わたしのうちもお隣もそのお隣もみんなベーコエッグなのに!」なんて言われたって、そんなの好みでしょう?

臨時収入が入って欲しかったバックを買おうと決めて、ブランド物のお高いバックもいいけど、安物だけどデザインも色も自分の好みだからお安い方を買おうと決めたのに「は?普通ブランド物のバック買うでしょ!わたしはブランドものしか買わないから!」なんて、自分の価値観を無理に押し付けられても困るんだよね。

会話を勝手に録音して自分のお家で流して、録音された会話の一部だけを聞いて「不快だわ!あなたは間違ってる!」って言われたって、言われた方からしたらわけわからんよね。


だって、嘘をついたわけじゃない。
誰かの批判や悪口を書いたわけじゃない。

嘘を書いたり悪口を書いたりした記事をたまたまでも目にしてしまったら、そりゃ読んでる方は楽しくはないよ。
噂話とか人の悪口とかが大好きな人以外はね。
当たり前のど真ん中だよ。

当たり強めのことを書く時はそれ相当の覚悟は必要だと思うんだよ。
けど、嘘や批判や悪口を書いてたわけじゃないのに、なぜ?

「わたしとは違う」
そう思って黙って去ってくれたらいいのに。


自分とは好みや考え方や価値観が全然合わないブログを読んで、「不快です!」なんてわざわざコメントする必要がどこにある?
内容が明らかに悪口や批判(都合よく感想と言ってる人もいる)でも、そんな内容を書く人は反論コメントが来るのもきっと想定内。
何を言っても無駄です。
黙って2度と行かないようにした方がいい。

「自分のブログだから何を書こうが自分の勝手」。
間違ってはないと思います。
だからこそ、そこに求められるのは良識。
自由にはリスクが伴う、というのがわたしの考えです。
自分の書いたことに責任が取れるのであれば、問題ないと思います。




わたしは「何を書こうがわたしの勝手」とは思っていないけど、やっぱり自由に書きたいです。
そして、書いたことに共感してもらえたら嬉しいし、逆だとがっかりしたりもします。
だって、人間だもの。

不特定多数の人が読むんだから、色んなこと考えて書きますよ。
誤字脱字がないかはもちろん、書いた内容は何度も読み返して直したり消したり書き足したり。
そんで、ドキドキしながら記事をアップするのよ。
共感してもらえるかな?
あそこでクスっと笑ってもらえるかな?
あの表現、細かいところは伝わるかな?
そんなこと思いながら、毎回ドキドキしながらポチってするのよ。

アクセス数なんてタカが知れてるわたしでさえそうなんだから、人気のブロガーさんのドキドキは計り知れないと思うんだよね。

お家に集う人たちが多ければ多いほど、そんな風にドキドキして書いた内容に土足で踏み込まれたり、ピンポンが鳴って玄関開けたらいきなり水かけられた、なんてことがあったらショックだよ。




好きな人のことを楽しく語りたい、好きな人を好きと言いたい。
けど、色んなことに落ち込むことだってある。
毎日元気じゃいられない。
無理にポジティブを作れない。
そんな思いを吐き出せる自分の居場所がだんだん苦痛なものになるって悲しい。
ただ、ただ、聞いて欲しいだけのこともあるんだよ。
顔の見えない誰かにでも。
慰めて欲しいとかではなく、聞いてくれるだけで救われることもあるんだよ。





実際の生活で他人の家に土足で踏み込むことはないのに、SNSの世界では当たり前のようになってる現実。





自分の感覚とは違う、自分の好みとは違う、自分の価値観とは違う。
そんなお家にはお邪魔しなくていいんだよ。
感覚の似た者同士、好みの似た者同士、価値観の似た者同士が楽しく感じるひととき。
それでいい。

一見狭く見えて、実はとてつもなく広くて、でも本当は大きいんだか小さいんだか最近はよくわからなくなってきてるけど。
こじんまりとしててもいいじゃないの。

あ、ここで一言言っておきますが、こじんまりとした世界で、と言ってもたまにドラマなんかで見る上辺だけのママ友グループのような、みんなでおてて繋いで的なノリは嫌いです。
なんなら小さい頃はそんなグループからは外れる子でしたから。
干渉するのも干渉されすぎるのもゴメン!って感じです。

相棒の「花の里」のような、落ち着いてゆっくりいられそうな場所。
って言ったら、イメージ伝わるかなぁ。
(実は相棒ファン)





なんか、久しぶりにいろいろ書いちゃったな。
もちろん、これはわたしの考えであって、あなたと同じではないという前提のもと書いてます。
なので、「違うと思います!」なんて野暮なコメントは華麗にスルーとさせていただきます。

「不快です!」なんてコメントには先に返しておきますね。
「不快です!」そのコメントが不快です(笑)










彼女の最後の記事がアップされたその日。
夏が終わりました。



なんか、泣けた。


YOU!
しばらくリフレッシュしたら、どこか違う場所でまたこっそり始めちゃいなよ!(笑)








これを読んでるみなさんも、いくつかのお気に入りのブログあるでしょ?
そのお家、大切にしたいよね。




大切な人の大切は自分にとっても大切




彼女がいつも言ってた言葉です。
わたしも大好きな言葉です。









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