広く知れ渡っている、ある人気の幼児教育教材では、「ごめんねと言ったらいいよと返す」ということをルールとして教えています。 これは一見正しいようにも見えますが、実際に現場で怒っているのは、「ごめんね」の言葉で「やった側」は無事完結、「いいよ」で「やられた側」の気持ちは永久封印…という理不尽なことです。 万一「ごめんね」に「いいよ」と返さなければ、逆に「なぜ許さないのか」と責められることになるのです。 いじめられた側というのはその苦しみ、悲しみを「ごめんねいいよの儀式」で瞬時にチャラにできるというものではありません。 本気の「ごめん」をきいたところがスタートで、許せる気持ちになるまで時間がかかりますし、許せないというゴールもありえるのです。 それを認めない風潮、それは、今の子供たちがある年齢になるとこぞって始める某幼児教育の教えるところに起因するのではないでしょうか。 教育の現場でも「まるくおさめる」が正しいとされがちですが、はたしてそうなのでしょうか。 「いいよ」の気持ちがないまま、それを強要される屈辱、そして、いいよと言ったからには許さなければならないのだという苦しみ。 「ごめんねいいよの儀式」をきっかけに学校に行けなくなった子どもは大勢います。 もしも多くの子どもたちが幼児の時点で間違ったルールを洗脳されているのならば、それを解くのは容易ではありません。 無法地帯である幼児教育の世界を、一度徹底的に調べる必要があるのではないでしょうか。 いじめの根っこは意外なところにはびこっているのかもしれません。 |
