中尊寺金色堂展 人骨編 | 経営者のための叡智と実務をつなぐ元銀行員のサイト

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光の錬金術師 リアルとスピリチュアリティの探求 五百田 小聖 Kosei Iota


(小松宮彰仁親王像 上野公園内)


庶民的な街、相模原。

 

さて。

 

人骨の話。

 

 先週、松本に行く前日、三月に入って温かくなり、確定申告の終わりも見え始めたころ、

 

父の友人を誘って、上野にいき、中尊寺金色堂展でもいきますか?

 

早ければ、桜も咲くかもね、とお弁当用意してきます、と言われる。

 

いつも、大きなおにぎりや、鯛めしなど作ってきてくれます。外の何が入っているかわからないものは嫌みたい。

 

ありがたく、大きなおにぎりをいただくことに。

 

公園には、一本だけ花がさいてした。

 

外国人はそこに溜まって、写真を撮っていました。

 

前回あったときに、小松宮の江戸に入る時の話を聞く。

 

土井先生という侍医だったかたの遺品を引き取ったりしていた関係で、そんな話を聞く。

 

行きの電車で、学生時代に中尊寺展にいった、その時のパンフレットだ、と懐かしそうに持ってくる。

 

で、ミイラの話。しかし、60年前のものを、すぐに取り出せるというのがすごい。


 ご自宅に一度お邪魔した時に、あまりにすごいので、笑いだしたのですが、断捨離なんて概念はまったくない。

 

でも、やせている。

 

藤原三代プラス、泰衡の首は、塩漬けだ、など。

 

 今回、棺もみたが、金箔が貼ってあって、

 今もなお張ってあるはずなのだけど、背景が白くて、金箔が際立たない。黒を配置すべきだ、と思う。

 

60年前もみたというが、それより、


展示の仕方がどうかと思うと、力説している自分がいる。

 

 60年もそうだった、という横で、展示の配色が良くないと何度も言っている自分がいた。交互にいっていた。餅つきの合いの手のようである。

 

で、行きの電車で、当時発掘にあたった先生、鈴木先生というかたが、鎌倉の材木座もしくは由比ガ浜で大量の人骨が発見されたという。

 

新田義貞が鎌倉に責めてきたときのものとも。

 

知らない?

 

いいえ、知りません。

 

先生いわく、世界的に人骨は特に頭部は楕円だったのが、丸くなってきているといわれます。

 

エジプトのツタンカーメンみたいですか?と聞く。

 

いや、目の部分がでていたのが、、。

 

時々聞こえていないようなので、会話は成り立つような、成り立たないような。

 

まあ、良しとする。

 

そして、上野公園の小松宮彰仁親王像のそばで、大きなおにぎりを食べた後、また、なにかごそごそ取り出す。

 

遺跡の破片みたいなもの。日付などのシールが小さく貼ってある。

 

なんですが?

 

青磁の破片、と言います。

 

北宋時代のころとも。

 

鎌倉の材木座あたりは、船が近くに留められないので、沖で小船に乗せ換えて陸地にもって来る。

 

なんか、イメージで大きな黒船から、小舟が出ていく姿がうかぶ。

 

その時、海に落ちたものも多いので、

 

台風が終わった後には、上に上がってきて、

 川が流れたものが、滞留したりして、こういうものが拾えるんです、と。

 

青磁の破片を2つ3つ見せてくれる。

 

拾いに行こうと意識してひろいにいくんですか?と聞く。

 

スルーなのか、聞こえていないのか、特にそれに返事なし


寒くなってきたので、館内に向かいます。