「アフリカ系アメリカ人」と言ったら何を思い浮かべますか?

ヒップホップミュージック、NBA選手、B系ファッション、ハリウッド俳優、ジャズ、ダンス・・・。

21世紀に入ってから人種差別が減り、アフリカ系アメリカ人の文化が日本にも浸透してきました。最近では1月に初のアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生し、時代の変化を間近に感じることができます。彼らは差別という壁を長い時間かけて乗り越えてきました。


アメリカは移民大国です。先住民のインディアン以外は皆仕事を求めていたり、より良い生活をするために移住してきました。しかしアフリカ系アメリカ人は自分達の意思とは裏腹に、無理やりアメリカに連れてこられました。1700年代に奴隷貿易が始まり、アフリカ人はアメリカ大陸に連れてこられて綿花のプランテーションで働かされました。まず、コンゴや中央アフリカで捕らえられ、首と手を縄でつながれた状態で西まで歩かされました。アフリカ・ギニア湾に到着後、すぐに船でアメリカ大陸に連れていかれました。この奴隷船は歴史の教科書で一度は見たことがあると思います。アメリカ到着後、反乱を恐れた白人達は、奴隷達を部族・家族バラバラにして売り出しました。奴隷達は新しく名前をつけられ、人権などは無視されてとにかくプランテーションで働かされました。
Ethnic Studies -少数民族学-
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この奴隷貿易は1862年に奴隷解放宣言が発布されるまで続きました。しかし奴隷制が禁止されても、黒人差別はアメリカ社会から消えることはありませんでした。1900年代前半は黒人は車の運転手、ドアマン、家政婦の仕事しか得ることができませんでした。文化面でも、1915年にD・W・グリフィス監督によって制作された『The Birth of Nation(国民の創生)』では、黒人は野蛮で下品で犯罪を犯すと描かれていました。白人が顔を黒く塗って黒人の役を演じていたので、スクリーン上で黒人を観ることはありませんでした。1920年代では、黒人は白人を楽しませるためにいつも笑顔でいる、ピエロのイメージを作られていました。
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それ以降、黒人差別は消えることはありませんでした。白人と黒人は別々にされ、同じ学校に通うことや同じバスに乗ることも禁止されていました。それだけはなく、黒人は白人から暴行を受けたり、時には首つりまでされて笑いものにされていました。この首を吊られた黒人を見ながらお菓子を食べることと、pick a niggerという言葉から派生して「ピクニック」という言葉ができたという説もあります。から

1950年代に入ってから、黒人差別をなくすために公民権運動が始まりました。ローザ・パークスがバスボイコットをしたり、黒人の学生がレストランで座り込みをし始めました。そこからキング牧師が立ち上がり、黒人差別廃止のために地道に努力しました。その結果、1964年に公民権法をが制定されました。


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公民権運動から約40年以上が経とうとしています。そこでようやくアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生しました。未だにアメリカ社会に人種差別が残っていますが、オバマ氏が大統領になったことで確実に私達は前進していると思います。この初のアフリカ系アメリカ人が誕生したことを歴史的瞬間と捉えるだけではなく、なぜそれが歴史的瞬間なのか、そこに至るまで彼らがどのような道のりをたどったか、そしてここに至るまでどれだけアフリカ系アメリカ人が努力してきたかをしっかりと見つめなおす必要があります。そしてそれをちゃんと後世に伝えていくことで、人種差別がなくなっていくのではないでしょうか。