久々にドリカムのベスト聴いていたら、大好きな歌が流れて。
ずっとメロディや言葉のリズムが好きだと思ってたんだけど。
よーく聴いてみたら自分と重ねてたことに気付いたので…ちょっと書いてみます。
『信じる』って、信じるに値する“何か”が必要だと思ってました。
ただただ信じるなんて、バカみたいって。
騙され放題じゃん!って。
でも。
信じるに値する“何か”ってさ。
ほんとは、ナイんだよね。
信じようと思えば。
日々の笑顔、メール、態度、言葉、いろんなことを信じれる。
信じられないと思えば。
それら全てを疑いの目で見る。
結局は、自分次第。
見えている物事だけじゃなく、見えない相手の心まで、信じるか信じないか、決めてるのは自分だった。
カレさんのことを疑おうと思えば、いくらでも疑える。
なんたって既婚者だし。
『私の身体が欲しいがために完璧な演技をして、家では嫁にいい顔をして、美味しいとこ取りしてる』
って言う人もいるだろう。
でも、私は信じてる。
信じようとして、とかじゃなくて。
なんか分かんないけど、自然と信頼してる。
だから今も、大好きだし一緒にいる。
そんな演技できるような器用な人じゃない、とか。
本当にお家が上手くいってない、とか。
私のこと大好きだってちゃんと伝わってる、とか。
そういう理由は実は、後付けなんだよね。
私はカレさんを信頼してて、だからこそ幸せなんだなって思う。
そう思わせてくれるカレさんに感謝してる。
カレさんに出会うまでの私は、親ですら信じてなかった。
上手いこと言って私を持ち上げようとしてる、とか。
どうせ出戻ってくるって思ってたでしょ、とか。
子どもたちに何かあったら、私のせいって言いたいんでしょ、とか。
そんな事、全然なかったのに。
唯一、たった一人、幼馴染の友人だけ信じてた。
それは、互いの悪業も傷も全てを知っているから。
理由があって、信じてた。
酷いよね。
私はそうやって、自己防衛してた。
裏切られても『あーやっぱりね』って、凹まないように。
強がりまくって実は、すっごく弱かった。
それに気付けて、ちょっと世界が変わった気がしている今日この頃。
このタイミングでこの歌を聴いたのも、見えない何かのチカラかもしれないなぁ。
というお話でした☻
眼鏡越しの空(抜粋)
大キライなのは眼鏡じゃなく こんな自分
ガラスの奥で叫んでいても 誰も気づかない
防御壁の役ばかりでごめん やってみるね
私をきちんと見せてくれる レンズに変える
ガラスの奥で叫んでいても 誰も気づかない
防御壁の役ばかりでごめん やってみるね
私をきちんと見せてくれる レンズに変える