こんばんは。
最近、私 かなり人生ベテランになってまいりましたが、知らないことばかりだなあと感じます。そこで、茶の湯の世界ももちろん、一生勉強でなのですが、その他のことも雑学しております。
先日、都市のデザインや景観についてのセミナーがありました。講師の大学の先生にお聞きする機会が
ありました。
そこで、質問してみたのです。「先生、なぜ大阪の南北の通りは筋というのでしょうか?」と、京都では大きな通りは西大路、北大路、東大路などといい、その他はすべて 南北も東西も河原町通、千本通、御池通、四条通、三条通など通りといいますね。
ずっと疑問でした。
大阪は大阪を代表する御堂筋、その東側は堺筋、そして松屋町筋、谷町筋、西側は四ツ橋筋、なにわ筋、あみだ池筋など、南北の道路の呼び名です。
反対に東西の道路は 土佐堀通、本町通、長堀通、千日前通と筋とはいいません。
その答は「なるほど」と納得しました。
大阪は日本でも数少ない「西」に開けた港のある町です。
明治時代に鉄道ができるまでは、この港から、米や物資がきたのです。
西から東に向かって、川をつかって物が移動しました。ですから、船場と呼ばれた今の本町や心斎橋の北側などは、東西の通りに面して、店が並んでいたそうです。
ですから、南北の道は東西の通りを結ぶ通路のようなもので、通りとはみなされず、筋と言われたようです。
それが、明治時代になり、鉄道の駅が今の大阪駅と天王寺駅(奈良や和歌山方面からの列車の始点)と市内の北と南に大きいターミナルができ、それを結ぶ道が発達したそうです。
南北を結ぶ道の呼び名は昔のままの「筋」ですが、その道路の方が立派になりました。
御堂筋や堺筋はビルが整然と並んでいますが、江戸時代はまったく違ったのですね。
今は車で走っても、東西よりも南北に走るほうが、信号の流れがいいようです。
自分の町のことをもっとよく知らないといけませんね。
これからも雑学してまいります。
ながながお読みいただきまして、ありがとうございました。