私の親は、おそらく毒親だと思う。
そのような記事の題名をネットで見ると、すぐに見てしまう。
私の母親との出来事を書こう。
まず、母親は母親が幼少期に親が離婚、そして再婚している。
父親は、母親と同じく幼少期に母親が死別、そして再婚している。
母親は、父親側に引き取られ、再婚相手の継母に虐待を受けていた。
小学生の時には、姉と一緒に何年間か児童養護施設に預けられていた。
虐待の具体的な内容については語らないものの、身体的な暴力があったらしい。
母親が高校生になると、理由は失念したが、月に10万円を家計に
入れるようにと母親に言われ、高校を中退し働き始めた。
その後、父と出会い結婚し、私を産んだ。
私が幼い時は、過保護な部分と冷たい部分があった。
過保護な部分と言えば、私が小学生になるまでに風呂上りなどの着替えは、
全て母親がやってくれた。
歯磨きも母親がやってくれた。それは小学生になるまでかは忘れてしまったが。
冷たい部分と言えば、とにかく私が辛い事などを話すと必ず共感してくれなかった。
その時発せられる言葉は、はっきりと覚えている。
「しょうがないでしょ!!」と怒鳴るとまではいかないが、はっきりと言われた。
私が何か出来ないことがあったり、おかしな言動をすれば必ず、
「あんた、バカじゃないの!!」と怒鳴られた。
子供にとっての考え方と大人の考え方は違うと思う。
頭ごなしにバカと言われるたびにひどく傷ついた。
こんな事もあった。
私が母親に怒られて泣いていた。
泣いていながら近くにいる母親の様子をちらちらと窺っていたら、
「何睨んでるの!!」と、さらに怒られた。
不思議なことは、上記の言われた言葉ははっきりと覚えているのに
何故そのような事を言われたのかという具体的なエピソードを覚えていない。
不思議だとずっと感じている。
テレビを見ると幼い頃の記憶を、はっきりとエピソードを言えるタレントを見て
不思議に思っている。
なぜそんなにはっきりと覚えているのだろう。
私が小学生になっても上記のような言葉をよく言われた。
そして、小学生になっても遅くても夜9時には就寝させられた。
ある時、小学生の時に地元に商業ビルができた。
休日にそれを見に行こうという話になった。
ところが、両親が寝るまでに寝付いていなければ、行かないと脅されたことを覚えている。
私は、眠れなかったので、思い切り目をつぶった。
何とか寝ていないことがばれずに済み、行く事ができた。
普通は、そんな脅しをするものじゃないだろう。
子供のころ、私には一歳年上のいとこがすぐ近くに住んでいた。
いとこは、学校から帰るとすぐに私の家に来て、私に遊ぼうと誘ってきた。
私は、それがとても嫌だった。
いとこは口が強く威圧的だった。
そんなところは、私の母親そっくりだった。
私は一人でゲームをしている方が、楽しいし幸せだった。
小学校3年生か4年生ぐらいに私の家族といとこの家族で
海外旅行に行こうということになった。
私はいとこが嫌いだったので、その事を勇気を振り絞り母に伝えたが、
返ってきた言葉はこうだった。
「じゃあ、あんたは行かなければいい。」
普通は嫌いな理由を聞くのだろうが、そんな事はなかった。
仕方なく私は一緒に行った。
同じく小学校3年生か4年生ぐらいに私の家で、私、母親、いとこの3人がいた。
当時、私は食べることが好きになり、太り始めていた。
夏のある日のことだった。
母親は、私の腕を指さし、笑いながら、いとこにこう言った。
「ほら、太っているから血管が見えないんだよ」
今思えば、ただのいじめだ。
私は傷ついた。
私が小学校高学年、中学生になると毎年夏と冬に必ず行っている上野アメ横に
いとこを連れて行くと言い出した。
洋服を買いに行くためだ。
お店に入ると母親は私そっちのけで、楽しそうに、そして満面の笑みで
いとこと服を選んでいた。
私は、適当に服を選んでいた。
お店の人は、いとこが実の息子だと思い、話していたが、母親が
私を指さし「この子が息子なんです」と言った。
私に対する扱いといとこに対する扱いが逆なのだと思う。
本来は、私と楽しく満面の笑みで洋服を選ぶのが、本当の親子というものだろう。
それは店員も間違えるのは無理もない。明らかにおかしい。
ちなみに私はというと、「あんた、いいものあった?」と聞かれるぐらいだ。
いとこに買ってあげた服の金額が、たしか4万円近くだった時だ。
私は気に入った服がなかったので、0円だ。
私はいとこに嫉妬していたので、「いとこばかり、ずるい」という
ニュアンスで母親と父親に言った。
そうしたら、二人で相談し始め私にかわいそうだからと4万円を渡した。
金で解決する行為自体がおかしい。
お金を貰えたことは嬉しいと言えば嬉しいが、本音を言えば、いとこと
一緒に行きたくないのが本音だった。
高校生になると、いとこが友人と一緒に万引きをしようとして店員に捕まったことがある。
警察には連れて行かれなかったらしい。
それを叔母から聞いた母親は、こう言った。
「友達にそそのかされてやったから仕方がない」と、いとこを擁護するような発言をした。
そそのかされてもやらないのが普通だ。
いとこに対しての溺愛がおかしい。
私が同じ事をしたら、同じような発言はしなかっただろう。
私が高校受験で学校から推薦を受け、面接を受けた時のことだ。
面接で緊張してしまい、面接官に「学校でやりたいことは何ですか?」と、
聞かれた際に「文化祭です」としか答えられなかった。
上手く行かずに落ち込んで母親にそのことを伝え、
「誰にも言わないでね」と言って自分の部屋に戻った。
10分もしない内に叔母から電話があった。私の様子を知りたかったらしい。
すると母親が
「学校で何をやりたいかを聞かれたら、文化祭ですって答えたんだって。
バカじゃないの。」と言っていたことが、はっきりと聞こえた。
私は深く傷ついた。
父親に関しても書こう。
父は、会社員で総務経理の兼務役員だった。
通勤に1時間半かかることもあり、朝は7時に家を出た。
帰りは、夜7時まで仕事をし、家に着くのが夜8時半ごろだった。
私が中学生になるまで9時には就寝していたので、平日の夜に家族で
食事をしたことがなかった。
休日に父は、家族でスーパーの買い物から帰ると決まって
スポーツ新聞の競馬欄をよく読んでいた。
午後3時になると、競馬をテレビで見ていた。
私は兄弟がいないので、父に遊ぼうとよく言っていた。
父は嫌々、遊んでくれた。
というのも、母親に「遊んであげなさいよ」と言われていった格好だ。
競馬を見たかったので、必ずと言っていいほどメインレースが始まる前に帰宅だ。
当時は私も楽しく遊んでいたが、今思えばもっと遊んでくれてもよかったと思う。
父は母の言いなりだった。
自分からは休みの日に○○へ行こうという発言は一度もない。
もちろん夏休みもだ。
いろいろと仕事で疲れていたのだろうが、子育てに積極的に関わるのが普通だと思う。
ちなみに母親は専業主婦だ。
だからなのか、子育てにほとんど関わっていない。
私に対して無関心だった。
子育ては、虐待をされて育った母親まかせだった。
私はこの家に生まれて良かったと思っていない。
家にいれば母親の顔色を窺い、外で遊んでいる時は、いとこの顔色を窺っていた。
常に人の顔色を窺いながら生きるのは非常につらいことだった。
今でもそれが抜けない。前に勤めていた会社の上司が威圧的だったので、
常に顔色を窺っていた。
子供のころの影響なのか、人に叱られたり怒られたりすることに恐怖を抱いている。
人と話している時も顔色を窺う癖が抜けなくて、相手の顔色が変わると
私の顔が強張ってしまう。
子供のころ、母親に怒られた時に言い返すことをせず、ひたすら黙って
その場をやり過ごしていた。
元々は人見知りする性格だから、人と仲良くなったり話し掛ける事も
私にとっては、勇気のいることだ。
結局のところ、虐待は繰り返されるということがよく分かる事を身をもって体験した。
身体的な虐待を受けて育った人は、身体的な暴力を振るわなければいいと
思っている人もいる。
それが私の母親だ。
自分の発した言葉が相手を傷つけることを知らないのだ。
精神的な虐待をしている事に気が付いていない。
そのような人たちに育てられると、生き辛さを感じてしまうことがあるのが
よく分かる。私もそうだからだ。
テストの点など、どうでもいいことしか褒められたことがない。
怒られないようにすることだけに神経を集中して過ごしていた。
おかげで自己肯定感は、育たなかった。
自分がいなくてもいい存在だと思っていることも事実。
毎日毎日、心のモヤモヤが消えてなくならないかを願っている。
今現在、友達はおらず一人だ。兄弟もいない。
唯一、年賀状を送り合っていた友達も今年ついに送ってこなかった。
元々、彼が結婚する際に披露宴に呼んでくれなかった。
私の事を友達だと思っていないのだろう。
ショックだった。
両親が死ねば私は孤独だ。
この先が不安しかない。
その前に手を打とうかとも考えている。
もちろん希望も捨てていないが。

