一週間前くらいのこと。大学の健康診断があった。資格を得るために健康診断の結果が必要で予約をした。コロナウイルス感染拡大を防ぐためネットで10分ごとに区切られている受付時間のどこかに申し込む必要があった。 

 健康診断当日、雲一つない快晴であった。あまり外に出ない私は久しぶりに見た真っ青な空に興奮していた。予約した時間は14時10分から14時20分の間。14時前についた私は健康診断の実施場所となる建物の前のベンチに腰掛け10分少々待つことにした。周りを見ると私と同じように10分単位の予約時間きっちりに来れなかった学生がベンチに座ってスマホの画面に目を落としていた。最近私も何かの時間をまつ数分をスマホの画面を見ることで過ごすことが多い。特に面白いものも熱中できるものもないが、スマホの画面を見ておけば私はどうしようもない数分をすることもなく待っている人間であるとアピールできる気がするからだ。スマホを見ることなく下を見ていれば落ち込んでいるのか体調が悪いのか、多少なりとも人の目に留まる。正面を向いていれば何かの拍子に人と目が合った時がつらい。上を向いていると何処か間抜けに見えてしまう。ただその日に限って言えばこの数分を、真っ青な空と風景を楽しむ時間に使うべきだと感じたし、阿呆に見えるという羞恥心は深い青に吸い取られてしまった気がした。

 周りを馬鹿みたいに見渡していると、一人の女性が目の端に映った。私以外のすべての人間がスマホに目を落とす中、黒が印象的な単行本を読んでいた。彼女の白いブラウスが背景に、その黒色は目立って見えた。調整することができなかった数分間を本を読んで過ごす彼女はその空間の中では異質で、そんなに熱心にきれいな姿勢で読む本はさぞ面白いのだろうと気になって仕方がなかった。

 何かあればすぐにハラスメントだなどと言われる時代に、女性を凝視することなど怖くてできなかったが、印象的な黒のカバーとタイトルに入っていた「月」という単語からそれが『流浪の月』という小説であることが分かった。太陽が最も高いところに上る時間に、気持ちの良い空の下、「月」がタイトルに入っているなんてミスマッチすぎるのではないかと余計なことを思ったがそんなことは今の今まで忘れていた。去年の本屋大賞を受賞した本のようでいかに自分が最近の本に無関心で生きてきたが浮き彫りになってしまった。

 先日23歳の誕生日を迎え、昨日(寝ていないので感覚的には今日だが)付き合っている社会人の彼女にお祝いをしてもらった。昼ご飯を食べた後カラオケに行こうという話になったが、一時間待ちであったため近くのバッティングセンターで数回遊んだ後、書店で時間をつぶすことになった。そこで健康診断の日のことを思い出し『流浪の月』を購入した。 帰りの電車の中で半分ほど読んでしまい、家に帰った後勢いで読破してしまった。

 ここからはただの感想 (ネタバレをほとんど含みません。)

 ネタバレはほとんどしないといいながら早速おかしなことを言うが、この物語には目を見張るような予想もつかない展開や大どんでん返しのようなものは存在しない。ただゆっくりと粘性をもった何かにまとわりつかれながら息苦しそうに時が進んでいく。読みながら私は自身の正義があまりにも独りよがりで目に見えない大衆を拠り所にしていたか気付かされてしまった。読み進んでいくほど心の殻が剝がれて行って、読み終わるころには守るもののない、生身の心がさらけ出された。抽象的過ぎて分からんって私自身も思う。ごめんなさい。しかし読み終わった直後の目に映るもの、聞こえるものすべてが刺激物で深く刺さる、そんな感覚になったことを忘れないように記憶しておきたい。どんな本も読み終わりに寂しさがあるのは間違いないが、その寂寥感の本体はどれ一つとして同じではなかった。