ホリちゃんです。大震災・大津波から、3週間以上たちました。依然として、被災者の皆様は不自由で、心細い生活を余儀なくされている方が多いはずです。心より、お見舞い申し上げます。以前のブログで、フランス人の親切にふれて、航空券の日付をスムースに変えて帰ることのできた方がいたという話を載せました。 その一方で、日本人に対しては、心から同情しているものの、自分自身が、今の日本の現状と向き合ったときに、フランス人として、リスクを負うべきでない、と考えている人が多いです。人がなんと言おうと、危機管理は、自分の裁量と責任で行われるべきだと、国家も国民も考えているのが、フランスなのです。 東日本大震災が起こってからは、しばらくパリにいましたが、メディアが報道する中で、日本人に対する称賛の意見や発言がたくさん出ていました。あの無秩序と混乱の中で、もし、これがフランスだったら、もっと、火事場泥棒的な犯罪が横行していただろう、そして、現状に我慢しないで、個人的要望をこれでもか!とばかりに、ぶちまけるだろう、それを、日本人は、「仕方がない」の一語で片づけて、まるで、統制された軍隊の様に、他人を思いやりながら、一糸乱れず、文句を言わず、整然と行動しているではないか!という報道が目立ちました。
それから何日かたって、事故や被害の分析に焦点が移ったとき、偉大なる「個人主義」大国フランスらしい視点や行動が目立ってきました。

あのジャンヌ・ダルクですら、魔女裁判と火刑が終わって何百年もたってからですからね、フランスが裁判の誤りを認めたのは。今では、「英雄」で、「救世主」で、「聖人」ですが、それを公式に認めるまでは、フランス人らしく頑固でした。ドラクロワの「自由の女神」はフランスの三色旗を描いていて、「自由」「平等」「友愛」を表しています。

理念は美しいですが、その後のフランスの歴史をみると、「自由」「平等」「友愛」を守ることとは、激しい反権力闘争、革命そのものでした。まさに、「自由」とは、勝ち取るものであって、「権利を得る」ということは、レジスタンスそのものでした。もし、原発事故の後の放射線の問題で、フランス政府や原子力関係機関が、「直ちに、人体に影響が及ぶ数値ではない」などと発言したら、国民は大騒ぎし、デモ行進や抗議集会で街は麻痺してしまうでしょう。責任追及の論点は明確です。より詳細な現状分析と今後の処方箋、将来の保障などを詳細に要求し、納得いかなければ、政府転覆まで行きかねません。たとえば、タクシーの運転手には、「乗車拒否権」が認められていて、そんな、我々日本人からみれば、ろくでもない権利獲得のために、毎年、ストライキも辞さないのが、フランス人なのです。日本人が「仕方がない」と言って、誰も恨まず、憎まず、時の政府に対する抗議や怒りの声をもっとあげないのがもどかしいようです。
そんなフランス人も、外交や外国相手の視点で自国をみたときは、「ナショナリズム」でまとまります。サッカーの試合はその最たるものでしょう。フランス学士院は、「美しいフランス語」を維持し、外来語や外国語なまりの「不純な」フランス語を排除しようとする国家機構です。

個人主義が徹底している様でいて、公共のために大切とされるものは、それを守り抜くために、命がけにもなります。

エッフェル塔も出来る前は、市民の大反対にあったのは有名な話です。市民にとっては誇るべき「街の景観」を壊すからという理由でした。

ルーブル宮殿の中庭にピラミッド型の建物を建てるのも、当初は景観の問題で、大反対にあいました。結局は国の意向で決まってしまうことでも、決定のプロセスでは、多くの反対運動やデモを生み出しています。

現在の整然とした街づくりは、建築基準法や、建物の高さ規制、色規制、ファサード規制などで厳しく景観が守られています。また、デファンスなどの高層ビルが林立する副都心地区は、環状線の内側の中心部には許されないとか、公共の決まりごとを自分たちの享受すべき「権利」として認めているから、お上から授かった法律とはちょっと違った視点で、自分たちが守り抜くべきものと考えています。

フランス語には、「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。1国の指導者やエリートも含まれますが、高貴な生れの者、すなわち貴族は、それにふさわしいリーダーシップと教養を兼ね備え、一般庶民を勇気をもって、導いていかなければならないという思想です。ところが、フランス人が日本の史上まれにみる災害に際してみたものは、ノブレス・オブリージュを全く発揮しない政府と、同時に、国の指導者よりもずっと高貴な日本人の「モラル」でした。
フランスはこれまで、ドイツと並んだ原発推進国でした。だから、人ごとではないと思い、サルコジ大統領や原子力発電会社のCEOが技術援助に来たりしています。一方、
ナショナルフラッグキャリアである、エールフランスは、成田を避けて、給油や乗務員交代を韓国でやったりしています。とちらも、単なるエゴイズムではすまされないでしょう。日本という国の危機管理のあり方に疑問符を投げかけ、技術提携や援助を申し出ると同時に、自国民のフランス人や企業に対しては、日本退避勧告をはじめとして、可能な限り、放射線のリスクを回避させる、合理的「身勝手」、「自己中心主義」が光ります。日本人としての「高貴さ」を失わないようにしながらも、ときの権力者にもっと、正論としての抗議の声をあげるフランス流「自己中」をもっと見習ったら面白いと思います。その合理主義の流れは20世紀の哲学者に受け継がれ、もし、サルトルやボーヴォワールが健在だったら、カフェ「ドゥ-マゴ」で、談論風発しながら、今の問題を議論していたかも知れません。
話は違いますが、イースターのシーズンとともに、ヨーロッパが急に暖かく春めいてきました。ぜひ、ホリデイツアーでフランスへお出かけ下さい。
ブログランキングに参加していますので、クリックしてみてください。もっと詳しく海外旅行ブログの世界に触れることができます。
にほんブログ村

それから何日かたって、事故や被害の分析に焦点が移ったとき、偉大なる「個人主義」大国フランスらしい視点や行動が目立ってきました。

あのジャンヌ・ダルクですら、魔女裁判と火刑が終わって何百年もたってからですからね、フランスが裁判の誤りを認めたのは。今では、「英雄」で、「救世主」で、「聖人」ですが、それを公式に認めるまでは、フランス人らしく頑固でした。ドラクロワの「自由の女神」はフランスの三色旗を描いていて、「自由」「平等」「友愛」を表しています。

理念は美しいですが、その後のフランスの歴史をみると、「自由」「平等」「友愛」を守ることとは、激しい反権力闘争、革命そのものでした。まさに、「自由」とは、勝ち取るものであって、「権利を得る」ということは、レジスタンスそのものでした。もし、原発事故の後の放射線の問題で、フランス政府や原子力関係機関が、「直ちに、人体に影響が及ぶ数値ではない」などと発言したら、国民は大騒ぎし、デモ行進や抗議集会で街は麻痺してしまうでしょう。責任追及の論点は明確です。より詳細な現状分析と今後の処方箋、将来の保障などを詳細に要求し、納得いかなければ、政府転覆まで行きかねません。たとえば、タクシーの運転手には、「乗車拒否権」が認められていて、そんな、我々日本人からみれば、ろくでもない権利獲得のために、毎年、ストライキも辞さないのが、フランス人なのです。日本人が「仕方がない」と言って、誰も恨まず、憎まず、時の政府に対する抗議や怒りの声をもっとあげないのがもどかしいようです。
そんなフランス人も、外交や外国相手の視点で自国をみたときは、「ナショナリズム」でまとまります。サッカーの試合はその最たるものでしょう。フランス学士院は、「美しいフランス語」を維持し、外来語や外国語なまりの「不純な」フランス語を排除しようとする国家機構です。

個人主義が徹底している様でいて、公共のために大切とされるものは、それを守り抜くために、命がけにもなります。

エッフェル塔も出来る前は、市民の大反対にあったのは有名な話です。市民にとっては誇るべき「街の景観」を壊すからという理由でした。

ルーブル宮殿の中庭にピラミッド型の建物を建てるのも、当初は景観の問題で、大反対にあいました。結局は国の意向で決まってしまうことでも、決定のプロセスでは、多くの反対運動やデモを生み出しています。

現在の整然とした街づくりは、建築基準法や、建物の高さ規制、色規制、ファサード規制などで厳しく景観が守られています。また、デファンスなどの高層ビルが林立する副都心地区は、環状線の内側の中心部には許されないとか、公共の決まりごとを自分たちの享受すべき「権利」として認めているから、お上から授かった法律とはちょっと違った視点で、自分たちが守り抜くべきものと考えています。

フランス語には、「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。1国の指導者やエリートも含まれますが、高貴な生れの者、すなわち貴族は、それにふさわしいリーダーシップと教養を兼ね備え、一般庶民を勇気をもって、導いていかなければならないという思想です。ところが、フランス人が日本の史上まれにみる災害に際してみたものは、ノブレス・オブリージュを全く発揮しない政府と、同時に、国の指導者よりもずっと高貴な日本人の「モラル」でした。
フランスはこれまで、ドイツと並んだ原発推進国でした。だから、人ごとではないと思い、サルコジ大統領や原子力発電会社のCEOが技術援助に来たりしています。一方、
ナショナルフラッグキャリアである、エールフランスは、成田を避けて、給油や乗務員交代を韓国でやったりしています。とちらも、単なるエゴイズムではすまされないでしょう。日本という国の危機管理のあり方に疑問符を投げかけ、技術提携や援助を申し出ると同時に、自国民のフランス人や企業に対しては、日本退避勧告をはじめとして、可能な限り、放射線のリスクを回避させる、合理的「身勝手」、「自己中心主義」が光ります。日本人としての「高貴さ」を失わないようにしながらも、ときの権力者にもっと、正論としての抗議の声をあげるフランス流「自己中」をもっと見習ったら面白いと思います。その合理主義の流れは20世紀の哲学者に受け継がれ、もし、サルトルやボーヴォワールが健在だったら、カフェ「ドゥ-マゴ」で、談論風発しながら、今の問題を議論していたかも知れません。
話は違いますが、イースターのシーズンとともに、ヨーロッパが急に暖かく春めいてきました。ぜひ、ホリデイツアーでフランスへお出かけ下さい。
ブログランキングに参加していますので、クリックしてみてください。もっと詳しく海外旅行ブログの世界に触れることができます。
