私の中で心境は、日々変化がありました。

先週のジェームスらしき犬の目撃情報を頂いた時点では、「やった、生きていた」「あいたい」

という気持ちが高ぶりましたが、


今週、栃木に来てからのこの数日、栃木の夜の寒さを実感しては、

寒がりのジェームスにはこの寒さに耐えら得ない。

この寒さの中で外にいたら、息絶えてしまったに違いない。


という思いが出てきました。


飼い主が諦めてしまうことほど、ジェームスにとっては、残酷で、むごいことかもしれません。が、

正直、もし、この寒さの状況下で、家の中の温かいところや、ビニールハウスなどの密閉された室内にいない限り、この寒さにはジェームスの体力やか細い体では、持ちこたえられないと感じています。


目撃情報がないと、「もしかして昨日の晩、何処かでうずくまり、そのまま逝ってしまったのではないか」と

いう思いが出てきて、


私の中では、「生きていないかもしれない」という覚悟が生まれて、それは、結果的に

「悲しみ」というよりも、ひとつ自分の中で、「区切りができた」といった感じになってまいりました。


きっと「南極大陸」の犬たちのように、実際に亡くなってしまったジェームスの遺体を目の当たりにしたら、

その場で泣き崩れてしまうほど、その現実に、悲しみ嘆いてしまうかもしれません。が、


その姿を確認できないことが、

かえって、私を救ってくれているような気がします。


もしかしたら、「何処かで、まだ生きているかもしれない。」

「逢えないが、生きているかもしれない。」


という「望み」がせめてもの思いで、私の気持ちを穏やかにしてくれていて、

もしかしたら、神様とジェームスが最後に私に残してくれた、せめてもの「思いやり」のような気がします。


昨日、遠くに出張中の主人とも電話で話をして、

この寒さでは絶望的。


積極的な捜索活動は年内で打ち切ろう。


来年は、静かに、心の中でジェームスを思い続けます。

帰ってくることを待ち続けます。

そしてきっと栃木の何処かにいるジェームスの魂に寄り添い続けます。


来年は、栃木市全体にに貼られたジェームスのポスターをはがしたり、

お世話になった方々へご挨拶をしたり、

DMを発送した動物病院やトリミング店にもお手紙を出す準備を

ゆっくりゆっくり、進めていこうかと思います。



1週間前、少し早いクリスマスプレゼントに、自転車が届き、とても嬉しそうな娘に

「ママはサンタさんに何のプレゼントお願したの?」と聞かれ、

「ジェームスが帰ってくることかな〰」と答えたこと。


「とても素敵なプレゼントだね」と言われ、

「そうなったらいいね」とつぶやきました。


難しそうです。


ジェームスが居なくなってからの「2ヶ月半」近くは

私の中では「2年半」近く経ったくらいの感覚です。


半月前までは、諦めるなんてことなど考えもしませんでした。


1か月前は、目の前の捜索活動に、無我夢中でした。


2か月前は、胸の息苦しさが、絶えず続き、何をやっても中に浮いた感じで

自分の気持ちのやりどころがなく、落ち着きませんでした。

事あるごとに、ジェームスを思っては、涙が出ていました。


2ヶ月過ぎた今はとても冷静です。


冷静な判断の元、探せるのも、本当はこれからかもしれません。

来年も、

ジェームスの魂を感じたくなったらその時は、栃木に来て探そうと思います。

ジェームスが一人ぼっちで淋しそうと感じたら、栃木に来てジェームスが目撃された数々の場所を

回ろうと思います。


今でも、はっきりと、ジェームスがつくため息や、嬉しいときにくるくる回る姿、

一人ぼっち何かを考えているときに、鼻を左右にぴくぴくさせる

かわいらしい、しぐさが目に浮かびます。


迷子になってからは、きっと,何回も、何回も、君は、ひとりで、どっちに行こうかと考えて、

小さな鼻をぴくぴくさせていたんでしょうね。頑張ったねジェームス。


臆病の君が、知らない土地で、車にひかれそうになったり、人に追いかけられたり。

怖かったね。つらかったねジェームス。


きっときっと、いつもいつも、私たち家族の姿を、探し続けて歩き回ったんだよね。

淋しかったねジェームス。見つけてあげられなくてごめんね。


外での生活は、寒かったね。とてもとても寒かったね。


きっといつもお腹がすいていたね。

喉も沢山渇いたね。


沢山沢山大変なことだらけ、ごめんね。

逢いたかったです。

もう一度一緒に暮らしたかったです。


待っているからね。

いつまでも待っているからね。

大丈夫だよ。

君のことは、1日たりとも忘れないし、いつまでもいつまでも、帰ってくるのを待っているよ。

だから安心してお休み。一人ぼっちじゃないよ。


これまで携わっていただきました、数多くの皆さまへ。

身内以上に親身になってくださりありがとうございました。


すべてを諦めたわけではありませんが、

今後は気持ち静かに行動したいと考えております。

皆様もどうか見守ってくださいませ。


まずは今年、お騒がせした私たち家族より、

感謝とお礼の気持ちを添えて。

ありがとうございました。お世話になりました。