我孫子支線を追っていたのに、そうではない車両を見かけたわけ、それは。。。
 
 
単に、二つの路線の並走地点になったからでした。
 
昨日ラストのの画像の踏切を渡りつつ、今来た道の方向、北側をパシャリとな。
 
これを生で見てみたかったのでございます。
駅からはちょっと距離があるので、わざわざ来るのはめんどくさかった。。。。。げふげふ
 
線路の東側から北を見まして、右にカーブしている複線がJR成田線の本線、左の単線が今まで追っていた我孫子支線です。
 
ここでやっと、視線と本線がつながります。
 
でもごらんのとおり、並走して走るのみで、我孫子支線と本線が直接つながってダイヤが組まれるわけではありません。
 
一度、双方とも成田駅に行かないといけないわけです。
 
過去にはイレギュラーで我孫子支線と本線が直通したこともあったようですが、現在の通常ダイヤではありませんです。
 
 
そして、その先はレースが合流したりしながら、南にある成田駅を目指します。
 
同じ踏切からパシャリ。
カーブしているので成田駅の駅舎はイマイチ見えておりません。
それらしき何かはあるんだけど。
 
 
そして、ここから線路の左側、東側へ。
 
ここでは線路だけが高い位置で、道路は低い位置になっていました。
 
 
 
その真横に、ドドーンと存在するのが、米屋の本社工場でございます。
 
栗蒸し羊羹が有名だった成田名物のこの老舗は、今では落花生最中だの、成田市のご当地キャラクター・うなりくんのクッキーなど、いろいろな和洋菓子を製造販売しています。
 
さらにこの北東の向こうには成田山新勝寺の敷地が広がっておりまして、一帯は成田詣でをする観光客向けの店も多くございます。
 
 
 
線路に沿ってちょっとカーブして、歩くうちに遠目に成田駅が見えてきました。
 
このあたりは、必ず成田駅に全車両が止まるので、スピードがあまり出ていないです。
成田線を走る車両を撮りたいなら、いいスポットかもしれません。
 
ここを通るのは総武線から経由してきたり、成田駅始発だったりする銚子へ行く成田線本線に、成田空港へ向かう空港支線、途中から鹿島神宮へ向かう鹿島線直通、そして、我孫子支線となります。
 
 
先ほどの踏切以降は、駅も近づいて本数がそこそこあるせいか、地下道が作られておりました。
この画像だと、中心付近のフェンスのある坂道の真下が、車のための線路下を通る地下道になります。
人間はこの穴から階段を下りて向こう側へ行きます。
 
実は、負担歩くルートではないので、私がこの地点を見たのはほぼ初めて。
選考奥のある石碑が何何か気になったりしましたが、やっぱり、事故でもあったのかなあ。。。ここ。
 
 
その後、成田山道の裏側にもなる路地を抜け、右側に電車の音を聞きながらしばし進みます。
 
飲み屋が増えてきた建物を横目に、視界が広がったら、到着~。
 
 
横っちょからこんにちは。
JR成田駅に到着しました。
 
こちらは正面の東口。
 
もう一つ、線路の向こう側になる西口もあるのですが、それはいずれ本線を歩いた時に行ってみようかなと思ったりしております。
そして、あの地下道を通ってみようか、また合流点付近のあの踏切を渡ってみようか。
 
 
本線を何れ歩いた際に触れようと思うので、JR成田駅の説明はほどほどに。
 
さて、あえてJR成田駅と表記したのは、京成成田駅がお向かいのすぐ近くにあるからです。
昔は細い歩道に人があふれて歩きにくかったのですが、今は駅前再開発をされて、京成との乗り換え者のルートも確保され、画期的に移動しやすくなりました。
 
ただ、そのために長いことこの地で商売をしていた店の多くがなくなってしまい、昔を知る身としてはちょっと悲しい。
 
私にとって、実家の最寄り駅のひとつでもあるJR成田駅は、成田市の南のはずれにあります。
 
明治30年の開業で、最初は初代成田鉄道の佐倉ー成田間の開業でした。
初代成田鉄道は、その後昭和34年ん位成田ー安食間を延伸開業しまして、我孫子支線の元ができたわけです。
その前に、佐倉ー成田間からの延伸で、明治30年の終わりに本線の滑川駅までが開業しておりますが。
 
成田山詣での駅としてにぎわい、今は国際都市となった成田市の玄関の役を担う成田駅。
そこを終点とする我孫子支線の旅は、これで無事に完結いたしました。
 
読んでくださった皆様、ありがとうございました。
 
 
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