畑を越えたら、一気に古きよき武家屋敷風な町並みになった矢切地区。

やっぱり歴史のあるところは違うな~。
感心しつつも坂を上る。
この地域は古くから、南に数キロのところに下総国府がおかれたのでその影響があったらしく、わりと早くから拓けていたようです。
戦国時代には国府台城をめぐる戦争で、ここもきな臭いことに巻き込まれたりした様子
国府台城は南にてくてくいくと、いくつかの史跡と共にあるのですが、京成本線の国府台駅からもちょっと距離があり、私は行ったことがありません。
江戸川沿いにあるのは確か。
いずれ・・・と思いつつ、日は過ぎる。

途中、「野菊の墓文学碑」なるものがあったのですが、画像失敗しました・・・。
伊藤左千夫氏の弟子の一人が後年、建立したものでしたが、急な石階段を上った先にあり、ちょっと疲れた私の足。
そして、いい加減に線路沿いへ戻らないと、線路沿い歩け歩けの旅ではない。
ということで、次の駅を目指して進路は徐々に南へ、北総線の方向へ。
途中の道には謎の木が出っぱっていたりします。
丘の上のこのあたり、そこそこ広い敷地の家々

けっこうな坂道を登りきり、やっと大きな通りが見えて一安心。
商店も見えて、現代に戻ってきた気分。
今まで通りすぎた家々ももちろん、普通に電気やガスなどある現代のお宅ですが、雰囲気が厳かと言うか、歴史の重みを感じるというか。
由緒ありそうな立派な住宅街でした。

そのまま大通りを南へ向かい、平らな道に、また安心。
だいぶ歩き疲れて、この大通りを行った時の記憶があまりないのでありますが、久々の畑道から解放されて「文明って素晴らしい」とか思っていたような気がします。

そして大通りを数百メートル南下しまして、矢切駅を発見しました。
この日はここで日が傾いてしまったので、おわりにしましたです。
結局、いろいろ計画したけど、一駅歩いたらバテました。

そして、画像は突然時を遡ります。
撮影日は9月15日。
私はこの日、2回目の「北総線歩け歩けの旅」をするべく、矢切駅に降り立ちました。
ちょっと前述しましたが、この日はあいにくの雨でして、このときはまだ途中だったJR横浜線の旅をするために遠出するには天気が悪い。
それじゃあ千葉の実家へ夕方帰る予定のこの日は北総線の旅の続きを・・・と思ったのです。
本来のリタイア地である新柴又駅からは矢切の渡しへ行くと決めていたので、船に乗るのに雨は嫌だなあ・・・
というわけで、一駅すっ飛ばしての旅再開。
ややこしくてすみません😢⤵️⤵️
読んでいる皆様には、前後した日付はあまり関係ないので気にせずお楽しみください。
この日乗ったのは都営浅草線の旧車両。
新型が出たので、この車両もやがて見られなくなるのでしょうか?
発車する電車に夢中で手を降る、よそ様の幼い兄弟が可愛かったので、パシャリ。

矢切駅には改札外にお舟が展示されています。
これは昔実際に使われていた、矢切の渡しのサッパ船です。
オール木造で、もちろんエンジンはついておらず、人力で運行されました。
「矢切の渡し」の歌も、小説「野菊の墓」も、出てくるのはこの船なのでしょう。
実際に角隠しの花嫁衣装でこの船に乗っている、花嫁さんの写真なども展示されています。
今は渡し船によってはイベントなどの際の一環で、花嫁行列を観光客に見せることがあるようですが、矢切の渡しで実際の結婚式すると言う話は見かけられませんでした。
運営自治体によっては、やってくれるところみもどこかにあるかもしれませんです。

ホームの先が真っ暗だったのですが、矢切駅は地下駅です。
実際には「野菊のこみち」の先にあった丘に掘ったトンネルの中に線路とホームがありまして、外に出るにはひたすら階段を上がります。
エスカレーターもエレベーターもありますけどね。
外に出たら、見事な雨の降り具合。
雨粒がうまく写らないもので、アスファルトの濡れっぷりで様子を察していただけるとありがたや。
駅舎を出てすぐに気がつくのがこの建物です。
スーパー銭湯「笑がおの湯 矢切店」です。
思わず大浴場に飛び込みたくなりましたが、まだ旅が始まったばかりじゃ!
ぐぐっと我慢。

こちらが駅入口です。
矢切駅は千葉県松戸市下矢切にありますが、立地は隣の市川市との境目にあります。
平成3年に開業し、発車メロディはもちろん「矢切の渡し」です。
ただ、導入は昨年平成29年からだったそうで、けっこう最近。
矢切の渡しの歌自体は昭和51年に発売された、ちあきなおみさんのシングルのB面が初出だそうです。
CD風に言えばメインじゃなくてカップリング曲だったのです。
当初はあまり注目されなかったのですが、6年後の昭和57年に梅沢富美男さんが舞台舞踊の曲として「矢切の渡し」を取り上げ、テレビドラマの挿入歌にもされたことから話題になります。
そして改めて同年にちあきなおみさんのシングルA面として新たに発売されました。
翌昭和58年に細川たかしさんが歌い、これが大ヒットし、同年、数組の歌手が発売した競作となりました。
細川たかしさん盤が1番売れたそうですが、実は細川たかしさんのオリジナルではなかったのです。
「野菊の墓」は関係無く、「矢切の渡し船」が廃止されるらしいと聞いた作詞作曲の両先生が、せめて歌で存在を残しましょうと、作った歌だったそうなんです。
実際に渡し船廃止の危機があったらしく。

構造上の都合なのか、矢切駅は駅舎の大通りに面した部分がこのように壁になっていて、裏側に出入口があります。
「日本橋まで最速25分」とありますが、直通の都営浅草線を使うとこうなるそうな。
ちなみに地域名での正しい読み方は濁点のない「やきり」が正解ですが、
駅名ではすでに歌での読み方でそちらが有名になってしまったためか、楽曲と同じく濁点つきの「やぎり」と読みます。
♪ 見たこともない景色 菅田将暉