けっこう大きかった橋本駅は、そもそも当初の予定にはなかった駅だったそうな。
 
横浜線(当時は名前が違うけど)ができる時に、地元住民の皆様が嘆願してできたそうな。
駅のあるなしは、街の発展に大きくかかわりますからねえ。
 
だから予定されていた相原駅との距離が、他の駅との間隔に比べて近くなったらしいです。
 
昔々の創成期の鉄道は、駅間も数キロ離れているのが多かったようですねえ。
 
 
車両センターがあるはずなのに、デカい団地に遮られ、何も見えない道中。
 
うーむ相模線を歩くときは、絶対南側を通ろうと決意。
いつになるか予定はまだないが。
 
ひとまず、北側に来ちゃったら住宅街の普通の道状態の横浜線沿線。
まだのどかな風景です。
 
 
数百メートル歩いて、やっとお休み中の車両が見えたぞ~♪と喜ぶのもつかの間車両センターの外れに来ておりました。
しかも高い位置になっているので、ろくに中が見えませんでしたよ。
ちょっとしょんぼり。
 
 
 
 
まあしょうがない、とりあえず車両基地のはずれの壁沿いに道があったので、線路に戻りましょう。
真南に踏切がありますぞ~。
 
この位置だと、すでに相模線は南へ向かって大きくカーブして去ってしまっているので、線路は横浜線の複線のみです。
 
 
はー、やっと線路に戻れた
 
踏切の名前が「高砂踏切」だったので、ちょっと笑ってしまいました。
私にとって高砂というと、東京にある京成高砂駅を連想してしまうのです。
 
こっちにも高砂があったか~っと、ちょっとうれしい。
 
さて、進行方向はこの画像の向きのまま。
 
線路の南側は何やら、工場が並んでいるようです。
 
 
次の駅まで、ひたすらまっすぐに続く道路。
道を探さないで良い分、楽でいいけど、何か特徴のある景色じゃないと、案外きついこともあります。
 
工場に沿っている場合、同じような壁が長いこと続いたりするので、だらけがちになったりして。
この画像の奥まで、約一キロあります。
 
ダレる~~ぅ。
 
 
 
画像の左、線路の北側も住宅街から工場の敷地に変わりまして、こちらも変化の乏しい景色に変化。
 
南側は一見、学校のグラウンドみたいですが、これも工場の敷地内です。
 
 
 
塀。。。というか金網の向こうを見てみると、敷地内は複雑なことになっております。
たくさんのパイプに、タンクみたいな円錐。
 
何を作っているのかは、謎。
 
 
そんな中、線路沿いに菜の花が咲いていて、ちょっと和む。
 
菜の花が咲いている季節だったんですよね、行ったときは。
ああ、猛暑続きで春を忘れておりましたわ~。
 
この時も初夏で気温は高め、半そでで歩き回っていたのですが、日焼けに後悔した日でした。
 
 
ようやく道の果てに来たところで、踏切を渡ってみることに。
駅らしきものが線路の向こうに見えてきましたが、まだもうちょっと歩かねば。
 
線路の北側に林みたいな遊歩道があったので行ってみた次第。
 
それを越えていくと、駅になりました
 
 
 
金網の向こうに見える、ガラス張りの建物。
こちら側だと、それが駅舎なのか、その奥にある建物が駅舎なのか、イマイチわかりませぬ。
 
とりあえず、ホームの屋根が見えるので、駅であることは間違いない。
 
ちなみに、私が通ったという林道みたいなところはかつて、米軍の敷地で立ち入り禁止のところだったそうです。
駅の北側、画像のこの辺りは全部米軍の敷地で、駅の出入り口も南口しかなかったそうな
 
90年代に駅の北側のこの辺が利用可能になったので、駅前広場を整備して、平成10年の橋上駅舎化の際に北口も作ったそうな。
 
 
ということで、歴史的には浅い北口前に到着。
 
相模原駅自体は昭和16年に作られたそうです。
 
その時、すでに小田急に相模原駅というのがあって、こっちの駅が「相模原駅」と名付けられたがために小田急の方は社名を付けて「小田急相模原駅」と改称されたとか。
国鉄、強し。
 
♪ 川の流れを抱いて眠りたい  時任三郎