相模原駅の北口前にはばるロータリーもあるのだけど、何だかさびしげ。
町として発展しているのが南側だからですかねえ。
でもちょうどいいところにベンチがあったので、ちょいとひと休み。
ベンチに座りながら、南側をパシャリ。
あちらにはペデストリアンデッキもあったりして、にぎやかな感じ。
ただ、街の名前をドドンと掲げた駅なのだけど、実際の利用者数は隣の橋本駅の半分くらいなのだそうな。
まあ、むこうは乗換駅ですからねえ。
ただ、橋本駅で横浜線の快速から各駅停車に乗り換える際は階段を使ってホームを変える必要があったりするので、同じく快速が停まるこの相模原駅で乗り換えるほうが同じホームに各停が来るので便利です。
経験者は語る(1回だけだけど)
じゅうぶん休んだので、さて次行こう。
景色が工場ばっかりであんまり変わらなかったので端折りましたが、橋本駅と相模原駅は3キロ近く離れていたのです。
その前の橋本ー相原間でも2キロ近く歩いたし、実はそれなりに歩いております。
ひとによっては毎日10キロくらいランニングしている人もいるので、私の徒歩記録など軟弱なものですが、座り仕事のデブには結構きついのですよ~。
楽勝と言えるくらいに体力とスリムな体を身に着けたいわ~。がんばろ~。
さて、ここから先は北側では線路沿いに進めないので、駅そばの踏切を渡って南側へまいります。
そしたらさっそく、北側は一見何もないような景色に変貌。
南側は、相変わらずビルだの一戸建てだの、密集してますけどね。
道は相変わらずま~~すぐで迷う要素はない。
金アミには、「米軍の敷地だから入っちゃダメ」と書いてあるだろう看板。
正確には「在日米軍相模総合補給廠」という施設で、名前の通りにアメリカ軍が使う小銃や食料や医薬品、各種工作車両用の物資などなどが常時保管されているそうです。
通りかかるまで、相模原市にこんな施設があるとは知りませんでした。
なんかやっぱり、ものものしいです。
神奈川県も、米軍関係の施設が多くて、いろいろ大変そうだなあと感じつつ、ふと音がしたので空を見ると、いたよ!
輸送機だか何だかわからないけど、確実にフツーの一般の飛行機ではない形の空飛ぶものが。
これがまた、ものっすごい騒音でグォォォォォッぉお!!!!と、あたりに響き渡らせて飛んでました。
戦闘機の騒音問題など、実際に聞くと大変さを実感しますね。
さて、金網を横目にてけてけ歩いていると踏切を発見しました。
線路の向こうにあるのは、一般立ち入り禁止のアメリカ軍施設。
なのに踏切があるということはもしや・・・。
はい、補給廠(ほきゅうしょう)への入り口でした。
踏切は、一つ上の画像のように電車が通れば普通に閉まります。
通り過ぎれば普通に上がるけど、その先にゲートあり。
ここで関係ない人が入らないように、見張っているわけですね。
実は、この画像を撮るのもビクビクしておりました。
入り口を撮るだけだったら特に怒られなかったですが、やっぱりねえ。。。
ここは西門になるそうです。
私は線路の北側と表現しておりましたが、横浜線はじっさいには西北西ー東南東の角度で伸びておりまして、その向こうにある門は西門ともいえるのかもしれない。
ココがメインゲートです。
その先もまだまだ続く、米軍の敷地。
広~いなあ。
南側は普通に一戸建てが多い住宅地となっていまして、普通の日本人の暮らしが営まれているのが、なんだか不思議。
この補給廠は廃棄物の一時保管場所でもあるそうで、有害物質を保管していたり、カドミウムを川に垂れ流していたといったことで問題になったり、地元と対立するようなこともあったそうです。
ちなみに、相模原駅も一時期、リニア中央新幹線の駅候補になったそうなのですが、この補給廠があるため、何かと問題が起きかねないとのことで却下になったとか。
そんな風に眺めているうちに、道は自然に駅に着きましたよ~。
ああ、道中長かった。
駅近くになると補給廠の敷地も終わり、線路の両側ともに普通の街並みに戻りました。
書いたかどうか忘れましたが、この日の目標は前回イベントのために目指した古淵駅までたどり着くことだったのです。
しかし、思ったより駅間が長く、ばてた私はここでリタイヤとなりました。
うわ~、駅名表示撮り忘れ取る~~。
ここは矢部駅でございます。
しゃれじゃなく、やべ~~っと思ったのは内緒。
矢部駅は最初から横浜線にあった駅ではなく、昭和25年に相模仮乗降場として開業しました。
昭和32年に駅に昇格し、矢部駅となります。
「矢部」とは、駅住所が相模原市中央区矢部、だからでしょう。
途中リタイヤの私としては、この駅があって助かったのですが、駅ができた経緯というのがかなり気分複雑です。
さっきから名前も出しています相模補給廠、ここに行き来するアメリカ人が運転手に止まるように強制し、勝手に列車を臨時停車させて頻繁に乗降するもので、できた駅なのだそうです。
ぉぃぉぃ・・・。
そりゃ、あんまり長いこと歩きたくないだろうけど、なんつー危険で勝手なことをしてたんだ、当時のアメリカ人・・・。
そりゃ、近くに駅を作ったほうが安心で安全ですね。
駅ができたことを素直に喜べない理由なのが引っ掛かりますが・・・。
これも、敗戦直後の日本だからこそやられた暴挙なのでしょうか。
もちろん、今はそんな無茶な人はいない。。。ハズ。
かつては日本軍の相模陸軍造兵廠だった場所を戦後、米軍が接収して補給廠が設置されたとのことなので、地域の皆さんは昔からその手の苦労をされていたんじゃなかろうか、と、思います。
♪ Love Balladeは歌えない 清水宏次朗






