ベンチが並ぶ線路沿いの道。

まっすぐ行くと、また行き止まりがありました。


 

もう完全に、日の角度と進む方角が一致したがために、影が写り込む私。

しかし、このシルエット、自分でもどんな格好をしていたのか思い出せぬが、なんか変。

 

目の前に見えてきた白い壁は、京成電鉄の車両基地。

正確には宗吾車両基地というそうな。

 

ここは走行線路に面して車両が停まっている様子がたくさん見られるので、車両オタクにはたまらない場所でもあります。

 

そのぶん、道の側からは見えませんね。

塀が高いです。


 

で、ここをグルーっと回って、先へ進むことになります。

 

一見、大げさな位に頑丈で高い塀に囲まれていますが、無理もないのです。

 

ここは京成線の総合的な車両検査や修理などを行う重要な拠点なのです。

京成の全車両対象のほかに、北総線や舞浜リゾートラインの車両検査も行われています。

 

留置車両は最大240両とめられるそうですよ。

もちろん、普段はそんなに停まってないですけどね。


 

金網の部分があったので覗いてみる。

しかし金網の方にピントが合ってしまった。

ああ、電車ボケボケ。

 

ここはそんなわけで、京成線の車両が常に何台もお休みしているわけです。

夜間になれば増えますねえ。

しかも、直通の都営浅草線の車両も留置されます。

 

私が2日前にアップした記事で取り上げた、「快速成田行き」として使われた浅草線の白い電車は、そのまま回送電車になったので、あのあとここにお休みに来たと思われます。

 

昔々、成田空港ができる前は成田駅が終点だったので、折り返しか回送になるのが当たり前だったのですが、現在は成田どまりはそのまま回送になるパターンが多いようです。

そうするとここへと来るわけです。


 

とか言ってるうちに、金網の向こうになにやら白いテントが見えてきました。

そしてまた、すれ違う親子連れ。

 

また、何か手に持っている~。


 

実はたまたまこの日、一般の家族が見物に入れる車両基地祭りが開かれておりました。

私も多大に興味はあったのですが、すでに予定が入っていたのであきらめたまま、開催日を忘れておりました。

 

グッズ販売とかもいろいろあったようですから、堪能して帰途に着いた人の多くは何かしら手に持っておりました。

そろいのコンビニ袋みたいなのも持っていたから、何かお土産も配られたのかな?

 

金網越しに見えたのは、なんと懐かしい昔の一般車両。

上が肌色、下が朱色のこの左側にある車両は、私が幼少期に乗ったときの色です。

だから昭和30~50年代はこの色だったんじゃないかと思われます。

いつごろ、今のカラーに変わったかはわかりませんが、この電車は正面の行き先はパタパタパネル。

スケッチブックをめくるように、手で一枚一枚パネルをめくって、目的の行き先を見つけて固定する方式でした。

 

正面のおでこの部分と、側面の行き先表示はロール巻取り式というか、あらかじめ行き先が書いてあるビニール製か何かの長~い巻物を巻いて巻いて、目的の行き先が出たらそこで止めるという方式。

巻いてるのは自動でしたが、その動いているさまをホームとかで見るのはけっこう楽しかったです。

目的の表示が出るまで、そのほかの駅名がどんどん出てくるから。

 

子供の頃は年に数回しか乗れなかったので(駅の無い町出身なもので、わざわざ遠くへ出かける時しか電車に乗らない生活でした)、駅や電車は別世界へ連れていってくれるワクワクの出発点でした。

 

右手にあるのはスカイライナーの車両ですね。

現在はモーニング・イブニングの各ライナー用に使っている色ですが、手前に模したおもちゃがある紺と白色の車体になる前は、これがスカイライナーの色でした。

 

 

ちょうど帰途に着いた親子連れに交じり、次の駅へと向かいますよ。

ここの最寄りは酒々井ではなく、次の駅の方。

 

置いてあるのは現役工事用車両。

 

それぞれ、敷石運搬用やレール運搬用など、形の違う車両が停まっていました。

 

こっちのほうは高い塀が無くてゆるそうだけど、金網の上には有刺鉄線。

気楽に入ってはいけませんです。


 

やがて建物やたくさんの留置線の場所も超え、また再び奏功線路の近くへと戻ります。

 

まだ資材置き場が続いてはおりますが、走る電車が見やすくなりました。

 

周りはのどかな農村の景色(正確には街だけど、かつては村だったし、まあいいか)

 

 

こんなのどかな所ですが、昔、大変な事件がありました。

 

京成電鉄は長らく京成成田駅が終点だったのですが、成田空港の完成に伴い、その先へ延伸することになりました。

そして完成したのがかつての成田空港駅。

現・東成田駅のことです。

現在の成田空港駅とは、ルートがちょっと違うのです。

 

その話はおいおいするとして、その成田空港、当時の名称は新東京国際空港という立派な国際エアポートができたわけですから、京成電鉄も張り切りましたでしょう。

最初はJRは空港に近いところへの延伸もなかったので、鉄道は京成だけの独壇場。

 

だから京成は、それにふさわしい、立派な特急車両を作りました。

それが、スカイライナーの誕生です。

 

で、華々しくデビューさせようとテレビCMを放映したり、都内あちこちにもポスターを貼ったりしたらしい。

私の実家のある富里市の周辺でも、「新幹線みたいなすごい電車ができたんだって!」と、スカイライナーのデビューを楽しみにしていたものです。

 

ただ、そんな政府の意気込みや思惑、雇用増加を期待する大人や、子供の無邪気なワクワク感とは全く異質の感情を持つ人たちもいたもので・・・。


 

車両基地から帰途に着いている人たちを前後にしながら。次の駅へと向かっております。

そろそろ駅舎も見えてきましたぞ~。

 

静かな酒々井町の一角、その宗吾車両基地に異変があったのは昭和53年。

この年の3月26日、あと4日後に開業を控えていた成田空港の管制塔が過激派ゲリラに襲撃され、おもに管制室の機器をめちゃくちゃに破壊されました。

 

それで開業を5月20日に延期したのですが、その15日前の5月5日午前3時半ごろ、この宗吾車両基地に留置されていたスカイライナーの車両が放火されました。

全焼した車両からは発火装置らしき乾電池やゼンマイなどがみつかり、中核派からの犯行声明も出されました。

 

これにより、デビューを控えたスカイライナーの1編成が全焼、ほかにも半焼した車両もあったそうです。

 

成田空港は多くの空港によくあるような、海上とか郊外の平原とかではなく、人が普通に暮らしている土地を建設候補地にしたため、計画当初から建設反対を訴える人が現れていました。

 

当初は我が故郷・当時の富里村が有力候補だったらしいです。

隣の八街町(やちまたまち。当時)に用地がまたがる計画もあったようで、特に農民が大反対。

 

そのあたりは明治以降、荒れ地だったところを開拓を進めていて、農地などは農民の皆さんのそれぞれの祖父母やご両親が大変な努力をして切り拓いていった場所だった故、思い入れ深い人も多かったようです。

 

また、政府も説明不足だったそうで、それがなおさら住民の怒りを呼びました。

 

それで反対派組織が作られていったのですが、そこへ半左翼なんてものまでかかわって来てしまったので段々やることが過激になりまして、上記2つの事件の前から、反対派と警官隊の衝突やら、空港に関連する人や場所を襲うなどの事件が起きておりました。

 

この空港開業の年には、ほかにも京成は運行妨害をいくつか起こされています。

京成だけではなく、資材や燃料を運ぶ当時の国鉄も、建設や運営のために働く公人や関連会社の人なども、被害にあった人がいます。

死者が出た事件もありました。

 

成田市の三里塚(さんりづか)というところに成田空港の建設が決定するのですが、そこは富里と隣接している地区でして、学校や幼稚園で「そちらの方へ行ってはいけないよ。危ないから。」といわれたものです。

ふつーに人が住んでる住宅街のあるようなところなんですけどね。

日本にもテロ事件があったわけです。


 

スカイライナー放火事件があった日のことを、私は覚えています。

 

早朝に起こった事件なので、7時のニュースでもう報道されまして、寝坊助の私を起こした母が、「スカイライナーが燃えちゃったよ!」と言ったことで、うとうとしていた私、ぱっちりと目ざめましたとも。

 

映像までは覚えていないのですが、初代スカイライナーのベージュとブラウンの配色の上品な車体、それが無残に燃えてしまったなんて、想像するだけで悲しいものがあります。

 

京成本線は現在、成田空港駅が終点になるわけですが、そこまで歩いて行くのに躊躇っている理由がこれです。

 

成田空港は出来上がる前も、開業した後も長いこと反対派の襲撃に備えてピリピリしていました。

ほんとうに、やっと、数年前にただの空港見学に行くのにも身分証明提示や手荷物検査をされていた状態が緩んだばかりなのです。

警備自体がとても緩くなったわけではなく、顔認証システムなどの最新機器を使ってテロリストの警戒はやっているらしいですが。

 

ヘタに空港周辺を歩いて、不審者に間違われたくはないなあ。。。

 

などと書いているうちに、次の駅につきましたよ~。


 

到着~。

今回は時間切れで、ここでリタイヤとなりました。

 

改札の外で撮った画像が失敗していたので、ホームから写した画像で場所公表。

 

宗吾参道駅に着きました。

 

この画像は下りホームから見た西口で、私が車両基地の方から歩いてきて、駅舎に入った入口は東口です。

 


 

そうごさんどう、というこの駅については、明日の記事で関連のことをちょっとご説明いたしましょう。

 

♪ 正夢  スピッツ