船橋競馬場駅は、ここ数駅連続していた「改札が進行方向の先の方」ではなく、「手前の方」にあったので、まだホームは続いております。
私が子供の頃は用もなかったので、この駅は通り過ぎるばかりだったのです。
ららぽーとが開業してからは何度も近くまでは来ましたが、その時私はぴちぴちの20代。
千葉県在住時は免許も取れたので愛車に乗って来てました。
やがて東京へ転勤になり、ここまでこなくても都内にお買い物するところはいっぱいありますから、疎遠になっていったのであります。
だ~~いぶ経ってから、親も年を取り、週末に様子見を兼ねて実家へ帰るようになってから、この船橋競馬場駅に途中下車する機会ができました。
この、駅前の国道14号線の、画像に写っているオレンジ色の看板の店舗、数年前はブックオフだったのです。
ええ、BL本目当てに4カ月くらいに一度の頻度で寄っていたのです。
現在、そのブックオフはもっと南のららぽーとの目の前にある商業施設「ビビット南船橋」の中に移転してしまいまして、それいらい疎遠に・・・。
とはいえ、ららぽーとにふなっしーランドができたので、また寄る頻度は復活してますが~。
ああ、やれることがいっぱいあって、楽しい界隈ですよ。
地上ホームだと、様子がよく見えますねえ。
船橋競馬場駅は2面4線あります。
谷津支線がどのように走っていたかは、今はさっぱりわかりません。
でも、にぎわっていたんだろうなあ。
国道の案内表示を見ますと、やっと成田が出てまいりました。
実はこの時、成田と鎌ヶ谷が同じ方向へ曲がる指示になっている、ということにちょっと疑問でした。
鎌ヶ谷と言えば船橋市よりも北部にあります。
そして成田は東にあります。
方向違うよ???
答えは後程~。
次の駅まではこのまま、国道14号沿いに線路があるので迷うことなく楽々です。
しかし、日差しはかなりきつくなって、ちょっとヘロヘロ。
真夏日だったかもしれない、この日。
歩いていてまた思い出した、過去の記憶。
画像右側にホームセンターのコーナンが写っておりますが、ここの敷地はかつて、京成バスの船橋営業所花輪車庫でした。
いつのまにか更地になって、2年前にこのコーナンができたんですけどね。
実は私が15歳くらいの頃、習志野市に住んでいた伯母の家で従姉のおさがりをもらいました。
紙袋いっぱいにおしゃれなお姉さんの素敵な服をもらって、ほくほくしながら駅へのバスに乗ったのですが、あほな私はその紙袋をバスの中に置き忘れてしまったのです。
しかも、地元に着いてから気付いたというバカっぷり。
翌日、成田からわざわざこの船橋営業所まで取りに来る羽目になりました。
思えば、船橋競馬場駅に初めて降り立ったのは、あの時が初めてだったかも。
バス会社のみなさんにお手数をかけて自己嫌悪に陥っていましたが、受付をしてくださった社員さんに言われました。
「忘れ物を取りに来てくれてありがとうございます。
取りに来ないお客様も多くて、残念なこともあるんですよ。
ちゃんと持ち主様のもとへ返せてうれしいです。」
バス会社さんの責任感や思いやりを感じました。
以来、忘れ物には一層気を付けています。
あの営業所はもうないんだなあ。
線路の向こう側、北側を見ますとやっぱり一戸建てが多いみたいです。
そのあたりは千葉県に入ってからずっとあまり変わらない風景みたい。
千葉県の東京湾側は東京からちょっと横に延びた後、ググッと斜めに土地が南へ降りていきます。
その、横に延びたあたりが今まで通った市川市や船橋市。
海に埋立てをして敷地を広げていった地区でもあります。
そうなると、昔から人が住んでいた陸地側と、後から作られた埋め立て地側では同じ市内でも雰囲気が違います。
京成線はちょうど、その新旧の境目を走っているのかもしてません。
やがてコーナンの前の三叉路を過ぎると、目の前にまた高架が現れました。
これが先ほどの謎の種明かし。
三叉路を右へ行くと、この高架へ上がれるのです。
この国道14号と交差している道は国道296号線です。
私の故郷・富里市にも走っている、私にはおなじみの国道です。
南側のここから北へまず伸びていくので、途中で鎌ヶ谷市のある方へ行く道にぶつかるのでしょう。
そして、全く街路樹もない歩道でヒートアップしそうだったので、国道296の下でしばし一休み。
いやー、この日陰、かなり涼しく感じましたです。
まだまだ道は真ーっ直ぐに伸びてますから、この陰でよく英気を復活せねば。
なにせ画像にはうまく写ってませんが、陽炎(かげろう)出てますから。
この先は線路の左側が高台になってきたなあという変化はあれど、特に目に留まったものもなくそのままてくてく。
ちょうど国道296号線を越えたところで船橋市とさようなら。
隣の習志野市に入りました。
習志野と書いて「ならしの」と読みます。
すでに北は新京成線、南は京葉線の旅の際に習志野市は歩きましたが、今回はど真ん中を突っ切るような感じですね。
船橋競馬場駅から1キロ。
あっというまに次の駅につきました。
T字路の交差点があるのですが、その横へ曲がった道が谷津支線廃止の理由になった「後から整備された道路」になりますようです。
ということで、谷津駅に到着~。
今は単純に地名から取った「谷津(やつ)」ですが、この駅も名前の変換があります。
ここは大正10年、津田沼までの延伸の際に「谷津海岸駅(やつかいがんえき)」として開業しました。
当時どこまで海岸線が近かったかはわかりませんが、ちょうど写っているホームの向こうのコンクリート壁、これが下総台地の縁の海食崖(かいしょくがい)というものだそうです。
むき出しなら地層が見えたのでしょうが、崩壊防止で工事されたのでしょう。
で、その高い崖の上に駅舎があるので、こちら側からは階段やエレベーターで改札へ向かうことになります。
道の反対側にあったもので、つい横着して上まで行かなかったのですが・・・。
今まで歩いて来た西側は海岸の低地だったところを歩いていたそうで、この谷津駅から先、東側は下総台地の上に向かうこととなります。
横着ついでに、駅舎を下からパシャリ。
この谷津駅の形は昭和42年に改良工事されて現在に至るそうです。
単に北側の方へ行きたい人の通路としても機能してるそうですよ。
さて、この谷津駅、最初から京成本線の駅だったわけですが、ここからも京成が作った遊園地・谷津遊園には歩いて行けました。
より入り口近くにお客を運ぶために京成は谷津支線を作って、そちらに谷津遊園地駅を置いたわけですが、この谷津遊園地駅は支線が廃止されたときに当然駅も廃止となります。
そこで、昭和11年にこの現・谷津駅が「谷津遊園駅」と改称されました。
こちらの名前には「地」の字が入ってないところが違いです。
そこから長らく谷津遊園の最寄り駅として週末ともなれば家族連れで大賑わい。
特急も止まる駅だったのです。過去形。
谷津遊園以外にも、当時では谷津干潟や海水浴場へのアクセスにも便利で、昭和の時代は駅の周りもそういった観光客目当ての商店が建ち並んでいました。
昭和14年に戦時下のた目に元の谷津海岸駅に名称変更されましたが、昭和23年に谷津遊園駅の名前が復活。
戦時中は娯楽にかかわるような名称は片っ端から改称させられたようで、ここもその一つになったようです。
世知辛い世の中だったのですねえ。
私が最初に覚えたこの駅の名称はもちろん、谷津遊園駅。
数年に1回だけだったけど親に連れてきてもらってワクワクした思い出があります。
私にとっては楽しい思い出の駅です。
しかし、昭和57年に谷津遊園は閉園してしまいます。
母体の京成電鉄の経営悪化と、東京ディズニーランドへの経営参加によるためです。
谷津遊園自体は黒字経営だったそうなのですが、やがてできる東京ディズニーランドとの兼ね合いもあった様子。
実際、谷津遊園の従業員の多くは東京ディズニーランドに移籍したそうです。
当駅はしばし駅名はそのままでしたが、2年後の昭和59年に現在の「谷津駅」の名称となりました。
「やつゆうえん」って、響きも好きだったんだけどなあ、残念。
谷津駅自体は現在は住宅街の中の駅、という感じになりましたが、谷津遊園で著名だったバラ園は健在で、谷津バラ園として現在も開園しています。
また、谷津干潟も健在。
なのでそれらを楽しみに降りてくる観光客もちらほら。
でも、特急も快速も止まらない、普通のみの駅になってしまいました。
♪ She’s a Rainbow ローリング・ストーンズ