アメリカ建国の父であるジョージ・ワシントンは、独立戦争時に最高司令官としてアメリカ軍を指揮し、勝利を勝ち取りアメリカ独立へと導きました。

独立が認められたのは、1783年9月のパリ条約ですが、勝利へと導いたワシントンは最高司令官の職を辞め、故郷のバージニア州に戻りました。

1787年フィラデルフィアの会議で多数の人達の要望を受け議長となり、1789年に初代大統領になりました。

大統領2期目が終わると政治の舞台からは去って行きました。

ワシントンは晩年に故郷バージニアに戻り農場管理者となりましたが、ある日咽が痛くなったため医師に診てもらいました。

その医師は瀉血(血液を抜くこと)という治療を4回行ったために、ワシントンは衰弱。ワシントンの妻は夫の容態をみて医師に瀉血を止めるよう訴えるが、医師に聞いてもらえず。

また大量の下剤も飲ませられたため、消化器官も弱っていきました。

これが死に直結したわけではありませんが、以降ワシントンは外出する体力もなくなり外出せず、トイレに行く回数も増し、1799年に亡くなるまでにつらい晩年となったようです。