
本日は、横浜開港記念館にて「商館時計の
魅力と流通」という、特別講演に行って
きました。
明治5年までの日本は、太陰太陽暦が
使われていて、実は当時の横浜商館時計は、
日本人には、あまり役に立っていなかった
のですね。
それが明治5年11月9日に「改暦令」
(大隈重信が中心となって行われた)が
公布され、太陽暦が採用されることに
なりました。
明治5年12月3日を明治6年1月1日にする、
と決められたのですが、公布されてから 実行されるまでに、1カ月もないという、
今では考えられないくらいのスピードで
行われたのですね(ある意味見習ってもらい
たいですね)(笑)。
また明治15年から28年までは、輸入時計の
92%が横浜から輸入されていて、残りの
8%が神戸から輸入されていたようです。
明治14年の横浜商人録から、横浜の元町には
27軒の時計商が集中していた事も分かって
います。
当時は山手に住む外国人中心に販売する
スタイルが主流だったそうですが、そういう
意味では、横浜元町は日本の時計販売の
原点になるような場所だったのですね。
因みに今回の講演会が行われた開港記念会館
(写真)は、1917年に横浜開港50周年を
記念して建てられたもので、今年で108年目
になる古い建物です。
横浜市民には「ジャック」と呼ばれて
親しまれている建物で、中の見学も自由に
できます。
元町に遊びにいらしたら、この界隈の古い
建物をみて回るのも楽しいと思いますよ。