私は・・・
私の中に蓄積された恐怖がこのように育ったと分析します
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私は父から「深い人間関係こそ素晴らしい」「だから友達の数は少なくてもいい」
と、幼少の頃から言われており、まずはそこの受け入れがありました
ここはセッションの時は浮かびませんでしたが
「浅い人間関係は悪だ」という思考パターンがあったと思います
さらに私の中で「選別は悪」だという信念もありました
私はどんな人にでも「深く愛情を注がなければならない」と思っており
でもその過程で裏切られることもあったし、自分がそうなれないこともあった
自分がそうなれない時、それは私の自尊心を奪いました
しかし、私はパーフェクトを望み、とことん無理をし続けたのです
人を全身で理解しようとし、悲しみも全て理解してあげたいと思いました
全身で理解するために、その人と完全に同調しようとする試みが
潜在意識で働いていたと思います
その人になってみないと気持ちは分からないと思ったのでしょう
その過程で私は自分の感情と他人の感情との区別がつかなくなり
一人になることを好むようになって行ったのです
結局人間関係はままならないもの
「全ての人を平等に愛することはできない」 これは絶望となり
「結局愛を求めていたのは自分なのだ」 という真理にも絶望しました
「全ての人が自分と同じ気持ちで
自分に愛を注いでくれるわけではなかったのだ
愛とは求めてもむなしいものなのだ」
もう随分若い頃にそんな風に決着をつけてしまったのでしょう
それからは自分らしさ、自分らしい感情とはそのようなものか知りたくて
今度は人をどこかで避けるようになって行きました
もう人は、私の「自分らしく生きるというエネルギーを奪うもの」に
心のどこかで変わってしまっていたのです
だから価値観が似ている人=自分らしさを奪わない=安心できる
価値観が違うと感じる人=自分が無理をして合わせようとしてしまう人=自分らしさが
奪われる=恐怖の対象
となっていたのでしょう
でも「人を理解しなければならない」という思考パターンは消すことができず
私は「価値観が違うと感じる人」に恐怖を覚えながらも
その人が傍に来ると、無意識に自分の身体の全触覚(センサー)を伸ばし、
その人に触れ、自分と少しでも共有できるところがないか、
何を好み何を嫌うのかといったことを必死にまさぐっていたのです
「同調しなければならない」という心理パターンがそうさせていたのでしょう
この集中が恐れを伴って、緊張となっていたと推測します
そして、やはり同じところがない!あるいは自分の一番大切なものを
この人は理解できないだろう!と感じると、またそれが絶望に変わるのです
これは外してもらいましたが 「自分は間違ってはならない」というもの
ありましたね。「理解されない」のが怖かったのではなく
「自分は間違っているかもしれない」と思うのが、とても怖かったのです
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私は元々人を避けるところがあったと前日記でも書きましたが
「人は自分の創造性を奪う」という恐怖は生まれた時からあり
過去生からも引き継いでいた気がします
現に私は今でもずっと「自分らしさ」という境地に憧れ続けているのです
正直ここまで分析が進むとは思っていなかったから
これで殆どこの問題は解決に近づいて来ていると思います
やっと元の位置に戻れた そんな気持ちがあります
でもこの過程は全部自分が作り出したものなのだから
自分で作り直すことができるはず
これからも自分の中の楽園、想像を超えた平和を求めて
障害となる思考パターンを自分の責任で消し続ける人生を選択します!
この世界に存在する偉大なエネルギーに心からの敬意を示します!
ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました!
Peace of I