今更ながら、私の考え方 についてお話します。

 

私は、男女雇用機会均等法の施行された(1986年)あとの、1989年に就職しました。

そのころは、キャリアガール、男女の平等など盛んに扱われており、私自身も《大学出たからには、男の人と同等に働いていくべし》

なーんて思っておりました。

お金を稼ぐことこそすべて。《人は、社会的にお金を稼ぐことで評価される》と、信じ込んでいました。

それは、ついこないだまでの、私の基本的な考え方でもありました。

そして、《女性だから、結婚して子供を育てるべし》

この考えも、私のベースにありました。

 

だから、《専業主婦で家にいるなんてありえない!》

《子育てしながらも、お金稼いでいかなくちゃ!》 と、常に焦りのように思っておりました。

 

未熟だったのは、結婚とキャリアが結びついておらず、

結婚で仕事をやめ、出産育児で仕事をやめを、していたので、キャリア形成はできていませんでしたが

お金を稼ぐということには、執着しておりました。

 

つねに、パートをし続けておりました。

 

《人は、社会的にお金を稼ぐことで評価される》 この思い込みだけで。

 

 

だから、子育ては後回し。

子どもの自立もしきりに言われていた時代でもあったので、《子どもは自立してなんぼ!》

この思いも強かったです。

 

でもね。

先日、NHKのクローズアップ現代で「あなたの隣もごみマンション!?現役世代に広がる‘孤立‘」

を見たときに、ふっと

「あああ、人ってたくさんの仕事をできないんだ」って、すっと入ってきました。

お仕事をしていたら、家の仕事はできなくなってしまう。そんなものなんだ。。。

 

 

そんなとき、PTAの役員をしていた仲間たちとのたわいないおしゃべりで

一所懸命子どもを育てている姿。

日常を停滞させることないようにする家事。

この仕事って、どんなに大切なことだったのだろう、と気が付いたのです。

 

たぶん、私は《人は、社会的にお金を稼ぐことで評価される》 

その、承認欲求だけでやってきたんだと気が付きました。

「下田さんは、すごいね」それを言われたいだけで、パートをしていたんだと思います。

 

夫の妻となって25年。

長女の母となって、23年。

 

家事育児が、立派な仕事であると再認識しました。

 

家事育児は、お金を稼ぐことでもないし、だれからも「すごいね」なんて言われることがない、家事育児に私は価値観を見いだせないでおりました。

 

しかし、ようやく20年もたってから(笑)

家事育児はないがしろにできない、とっても価値の高い仕事であると。

 

でも、どうして世間からは、家事育児を軽んじているような印象があるのでしょうか?

やっぱり、実態が見えないし、結果も出ない。

そんなことからなのでしょうか?

人ならできるはずって、思うからでしょうか?

でも、NHKで、できないっておもいましたよ。

国から、家事育児手当とか、税金免除とかしてくれてもいいのにと思うのにね。

 

 

私の今の年齢や、パートを減らして時間ができたこと、息子どもの学習を見る機会が増えたこと、

農業に携わるようになったこと、色んなことがあったから、ようやく 母親という重要な仕事に気が付いたと思います。

 

神様は、それに気が付くまで子供を私に託してきたんでしょうね。

だから、5人になっちゃった(笑)

 

今私の願いは、

深い愛を持って、子どもたちを導いていきたい。

 

お金は大事だけど、

時間も大事。