こんばんは^^
またまたブログ空いてしまいましたが。。
今夜は私の大事な家族のお話を
(かなり長いです)
この一週間後に、突然03〜の番号から電話がきて、普段知らない番号は出ないんだけどこの時はなんとなく出ようと思って出てみたら介護施設からの電話で、
ようやく気持ちも落ち着いてきたので、ブログに思い出や気持ち、思ったことを忘れないように綴ろうと思います。^^
今日は大好きなおばあちゃんの、四十九日でした。
おばあちゃんは、お母さん方のおばあちゃん。
私が小さい頃からずーっと一緒に住んでいました。
そんなおばあちゃんはこないだの4月30日に天国へ逝ってしまいました。
5月20日で93歳だったけど、長く生きてくれました。
思い出。。
小さい頃、なぜかゴミ収集車が好きだった私はよくおばあちゃんにおんぶしてもらって最後の場所まで追いかけてもらったそうです。
なぜゴミ収集車が好きだったかは未だに思い出せないけど、、笑
弟が産まれる時にはお母さんが入院していたため、相当お母さんがいなくて寂しかったようでおばあちゃんに「お母さん所に行く!!」と言って家を飛び出して、でも6歳くらいだったのでもちろん行ける術もわからず結局家に戻ってきたりと、心配かけたりおてんばな子だったけど、いつも優しくて怒られた記憶は全くありません。
それから中・高と私立の一貫校へ行ったので友達も6年間一緒で毎日楽しく家族も仲良く、そんな学生時代を過ごしていました。
しかし私が高校生の時に色々な事情で両親が離婚してしまって、私にとっては考えてもみなかったことだったのでとてもとてもショックで、お母さん方についてお母さん、おばあちゃん、弟と住む事になりました。
それから遅めの反抗期が来た私は友達とルームシェアをする!と言って実家を出たり、地方に住んでみたりとあまり実家にいることがなく、20歳を過ぎてからのおばあちゃんとの思い出があまり思い出せません。。今とてもすごくそれを後悔しています。
反抗期も落ち着いて芸能界へ進んだ私は仕事も忙しくなってしまって実家にもほぼ行けず、あれよあれよという間におばあちゃんがだんだんボケて来てしまって、そして転んで骨を折って入院してから更にボケは進んでしまい、、
介護が必要になり、母も毎日仕事しているためお世話をする時間がないのでおばあちゃんは介護施設に行くことになりました。。
介護施設に入る前からおばあちゃんは私の事も少しわからなくなっている感じになってしまっていました。
おばあちゃんが私のことをわからなくなって行くのが怖くて
会いたいのに会って現実を見るのが怖くて
なかなか介護施設に会いに行かないでいました。
一つ良かったことは、弟がすごく優しい心の持ち主なのでしょっ中おばあちゃんに会いに行っては、おばあちゃんが、歌を歌うのが好きなので一緒に歌を歌ったりお話ししに行ってくれていました。
おばあちゃんはいつもニコニコしていました。
でも、だんだん表情が無くなってきて、カメラを向けるとピースはできていたけど
最初の頃、私の名前は何?って聞くと「ひこ乃ちゃん!」と答えてくれていたけど、会いに行く度に答えられなくなり、そして話すのが大好きだったのに言葉も発さなくなって。。
ピースもしなくなって行って、、
私が今年の4月に会いに行った時。
おばあちゃんと会った最後の時。
この一週間後に、突然03〜の番号から電話がきて、普段知らない番号は出ないんだけどこの時はなんとなく出ようと思って出てみたら介護施設からの電話で、
「おばあちゃんの呼吸が止まっているので誰かご家族の方来れませんか?」という電話でした。
意味がわからなくて、最初はどういうことか理解できないというか信じたくなくて、でも「到着が遅くなると家族立ち会えずに医師が確認する事になります。」と言われてやっと状況がわかってきて、
次の日の仕事でその日は新潟に前入りする日だったのですが、幸いにもまだ新幹線には乗っていなくて急いで介護施設に向かって、おばあちゃんに会いに行きました。
そしておばあちゃんは静かに眠っていました。
肌も暖かいし、本当にただ眠っているだけのように見えました。
何度も話しかけたけど、もちろん返事はなく。
泣くと目が霞んでおばあちゃんが見えなくなってしまうから嫌なのにずっと涙が止まりませんでした。
そしてたまたまその日の仕事が休みだった弟、仕事場がバラバラで地方の事もある母もたまたま近場で仕事だったので家族全員揃えて、その場へ集まりました。
次の日だったら私は新潟にいたし、そして母が泣いてる私を励まそうとしたのか、少し面白く「次の日だったら5月になって介護施設の1ヶ月分のお金が発生したから、おばあちゃんが気を使ってくれたのかも。」と笑わせてくれて少し場が和みましたが、そういうタイミングって本当にあるんだなぁと思った瞬間でした。
そして次の日の仕事は穴があけられない仕事だったため最終の新幹線で新潟へ行って、次の日仕事をこなして帰ってきました。
きっとおばあちゃんも頑張ってきたことに喜んでくれると思います。
そして、ここで驚く出来事がありました。
新潟のホテルで、夜な夜な悲しくて、泣くとこまで泣いて、そしてまっさらな状態になった私は自分が本当に何をしたいんだろう、そんな事をあれこれ考えて
そして、人の為になることがしたいな、人を助ける事がしたいなそう漠然と考えながら眠りにつきました。
そして次の日ホテルで朝食を取っているとき、食欲はないけど少しでも食べなきゃな、、なんて思いながらまた悲しくなってきて泣いていて、近くにあったナプキンで涙を拭いたらなんと
涙で『7』が出来ていました!!
エンジェルナンバーだ!!と思い、
背筋がゾクっ!としました!
きっと、おばあちゃんが何か伝えようとしてくれてる。。!!と。
そしてエンジェルナンバー 7で調べるとこんなことが出てきました
と、そう思いました。
そして仕事が始まり、仕事中も涙がこみ上げてきてしまいこっそり泣いたりしていて、、(どんだけ泣くんだ。笑)
お昼休憩の時にマネージャーさんに車でPAに寄ってお土産を見たりして車に戻る時、似たようなのが沢山あって、その中にナンバーが7のがあって、まさかこの車だったら凄すぎると思って、
「あの車じゃないですよね〜?^^」と聞いてみたら、
「あれですよ!」と、、!
これはもうエンジェルナンバーだ!!と、そう思いました!
おばあちゃんがいつもそばに居て応援してくれるんだなって、そう思ったらめそめそするのはやめようと、
強くなろうと思いました!
葬儀の時も、今日の四十九日も
家族でおばあちゃんを笑顔で送りました!
もう会えることはないけど、
いつも見守ってくれているはず。
大好きだよ、おばあちゃん!!
幸せな時間をありがとう
これを読んでくれた方も、周りにいる家族や友達、テロや悲しい事件も多い世の中なので後で後悔しないように大切にして下さい。。^^
ひこ乃