福岡市簀子小学校の体育館で30日「官兵衛の遺産3」というイベントが開催されました。

http://www.event-navi.ne.jp/stage/d_top.php?eventID=0000043241

 

午前中だけの鑑賞でしたが、

県無形民俗文化財「今津人形」か゜素朴な味で興味深く拝見しました。

写真右下の少年が始まりの口上をのべ、恵比須様がしずしずとお出ましになります。

詳しい歴史を資料から抜粋して書いておきます。

今津人形芝居は、江戸時代後期の弘化年間(1844から48)に、大原の鯉川弥蔵が若者の善導のために操(あやつり)人形を採り入れることを思いつき、当時しばしば巡業にきていた大分県の北原人形芝居(淡路系)から伝授を受け、「大原操り」(おおぱるあやつり)にしたのが、始まりといわれています。
 一時衰退の時期がありましたが、明治初期(1870年代)に当地の鯉川安右衛門等の発起によって復興されました。元来、大原操人形は青年の娯楽と思想善導を目的としていたため青年組に定年制をしいて、主に青年たちの手で演じられてきましたが、座を退いた壮年たちがこれとは別に、北九州八幡西区楠橋の田中新十の人形芝居一式を購入して新座を結成し、青年組の旧座との問で技を競い含い、大原操り人形の全盛期を迎えました。しかしこの新旧両座対立が激化し、村の平和が乱れたため、村民協議の上、人形芝居の廃止が決定されました。
 その後、今津の宗善次郎が、伝統ある大原操り人形の消減を惜しみ、地区の人々を説得して、大原の新旧両座の人形道具一式を譲り受け、新たに今津操り人形「恵比寿座」(えびすざ)を明治24年(1891)3月結成し、糸島郡内をはじめ早良郡、福岡市はもちろん佐賀県内にまで興業にでかけるなど、明治40年代(1907から12)に最盛期を迎えました。しかし、やがて太平洋戦争の勃発で中断、戦後再興されましたが、途中青年層の流出などで再び中断、その後昭和45年(1970)5月、今津人形芝居少年部が組織され以後恵比須座の中村貞義・中村隆暢等の指導で、その伝統が受け継がれることになりました。
 こうして昭和50年代(1975から84)からは学校の文化祭、老人ホームなどの参加等伝承活動を続けています。

http://www.itogura.net/ningyou/imazu-ningyou.htm