父の呼び出しは、ほとんどが「トイレ」で、
それはどんなに頑張ろうとも、自分でできないから。

たまに、「水が欲しい」とか、「頭をあげて」とか、やっぱり自分でできないことで呼び出す。


それは、


逆に言うと「私ができること」になる。


少し大変になりつつあるトイレの介助も、やれることがあるというのは、
やっぱり嬉しいことだったりする。



今朝早くにチリンチリンとなるので、トイレの介助かなと父の部屋に行くと、


「背中が痛い」


と言われた。
時々痛そうにしてると、背中をさすったり、市販の「アンメルツ」を塗ったりしてきたけど、
ベルで呼び出されたのは初めてだった。



痛みには昔から強いと言われることが多い父が、
背中の痛みでベルを鳴らすというのは、
よほど我慢ができなくなってきたからだろうと思うとちょっと切ない。


父がベルを鳴らすことが、「私が父の代わりにできること」だったのに、
痛みを取り除くことはできない。



少しだけでも和らぐならと、
父のベッドに腰掛けて、
背中をさする。


「父の代わりにできること」

だったベルの呼び出しは、


「父の助けにできること」


に変化しつつある。

食べれなくても、動けなくても、
ただ父の過ごす時間が穏やかに過ぎてくれるだけで、
それだけでホッとする。