たまに父の看取りが終えた後のことを考えます。

親や人の「死」の後のことを考えるなんて、不謹慎だと言われる方もいるのかもしれません。


父の看取りや介護のことばかり考えている生活ななで、
今夜みたいに夜中に介護のために起きて、
なんだか寝付けなくなってしまった夜にはそんなことを考えるにはちょうどいいのかも。


「死」が人生の営みの一部なんだな〜〜と感じるように思えてきたことで、
介護している私の「看取り」以降の生活のことも考えることも、
父が私に与えてくれている最期のプレゼントかもと思ったりします。

単身で父の家に泊まり込みで介護しているので、
元の生活に戻るという
日常に戻るというだけに、この「看取り」の期間を終えた後にしてしまうと、
きっと何かしらの〜〜ロスになってしまう可能性がなきにしもあらずですから。


全てが終わったら、まずは温泉に湯治に行きたいなってのは、常々思います。
週一ほどお友達が来てくれて、身体をほぐしてくれているけど、すぐに背中がゴリゴリになってしまうのでね。
身近な欲求としては、温泉笑笑


でも、もっと大切なのは、
その先ですよね。


入院中に看護師さんから、
「みなさんいろいろな人生をおくってこられてますが、最期が良ければすべてよしになったりするんですよ。」
みたいな言葉を言われた時に、
私が父にしてこれなかった懺悔みたいな感情も、看取りを通して「すべて良し」に変えられるのかもしれないと感じてました。

でも、それは私のと父の関係の話。


実は、

父の看取りを通して、
私は私の人生の振り返りもしている期間だったりしてます。

一昨年より前の5年くらいの間、その期間は私の人生の暗黒期(笑)みたいな時期でしたので、
生きることに絶望してました。

なので、自分を楽にすること(死ぬことではないですよ)ができたらいいなとあれこれやっていく中で、
少しずつ見えてきた自分のこれからの人生のターニングポイントのように父の介護が始まったようにも思えてます。


辛かった時期に、無償の愛を与えてくれる父の存在が有り難かった。


「ありがとうね。お父さん。もう大丈夫よ。」

という気持ちで看取りを終えるように、
父の看取りと向き合うことで、私の暗黒期の看取りを済ませて次に行こうっていうことだな
と考えてます。


そして、


父の看取りは、私だけでなく家族にも何かしらの影響を与えていっていると思ってます。


病院での看取りより、さらに家族の生活の中に父の看取りが入っていることでその影響は大きい気がします。
私がこれをターニングポイントにすることで、さらにそれが増してる。。。そんな感じで。






まだまだこの看取りを通して、私は考えることがあるようです。

でも、「考える」ってことだけでも、十分ですよね。そんな時間やタイミングがあたえられているってことが大切だから。





真夜中だから、こんな内容の吐き出しをしてみました(^^)