【時間管理の本を読むより、映画『永遠の0』を観よ♪】 | コラムニスト&英語教員上野真帆の『喜びから人生を生きる方法』

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踊る英語教員&コラムニストの上野 真帆です。読んでくださっている方にとっても、ヒントや気づきを♡丁寧な暮らし・日常を楽しむ方法・より良く生きる知恵・環境問題・まちづくりなど

【「永遠の0」を見る前の自分に戻れない♪】何のために生きるのか?

今でも、FBでコメントがつきますので、アメブロにもアップしますね♪

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=274500756031143&id=100004136613297

(2013年12月31日にFBにアップした記事です。

*私は、特に百田尚樹さんのファンというわけではないです☆)



同居人のうえちゃんは、サービス業のため、土日祝日もGWも年末年始も働きます。

私は、実家が遠いため、めったに実家・地元に帰ることはできない。

そのためか(?)、私もうえちゃんも、「時間をどう使うか」を大切にしています(*^。^*)

映画「永遠の0」を見てきた。http://www.eienno-zero.jp/index.html







何のために生きるのか?

どういう「想い」で生きるのか?

誰のために生きるのか?すごく考えさせられました。



戦争は、いけない。平和は大切♪

戦時中に生まれたら、どうなっていたことやら?!も思いましたが、

私はそれ以上に


何のために生きるのか?どういう「想い」で生きるのか?誰のために生きるのか?

すごく考えさせられました。


毎日仕事が終わって、家族と会えるのは、当然じゃないんだ。

毎日、死と隣り合わせの日々。


たとえ軍人だとしても、死の危険性はあっても、

相手の軍を攻撃に行くのではなく、

初めから「死ぬ」ことがわかっていて、

相手の空母や艦隊に突撃していく特攻隊・・・


人の命を軽んじ、赤紙一枚で人をコントロールしたり・・・

人の命よりも、戦闘機の損傷を気にする人権無視の上官たち・・・


特攻隊に、初めから志願するような人はいなかったと、改めてわかった。

みんな、生きたかったのだと思う。


「生き続けたい」

「僕が亡くなったら、妻子の生活はどうなるのだろう?」

「家族に会いたい」と生きることに望みをかけていた海軍パイロット、宮部久蔵。

それなのに、なぜ、彼は最後に特攻隊に志願したのだろうか?

映画を見たり、小説を読んだ人、どう思いましたか?←コメント欄で、ヨロピク☆


私は、この映画を見て、「自分軸」を大切にしたいとますます思うようになった。


宮部は、戦闘機のパイロットをしていただけでなく、

パイロット養成学校(特攻隊養成学校?)の教官も務めていた。


なぜ、彼は、自分の生徒たちが、飛行機の操縦をうまくなることを喜ばなかったのだろう?

なぜ、彼は自分の生徒たちの飛行試験(特攻テスト?)に「合格」を出さなかったのだろう?




宮部は、自分も生きたかったし、自分のかわいい生徒たちにも生きてほしかったのだと思う。



この考えは、戦時中は「普通」ではなかったのだろう。

宮部の自分軸なのだろうか?


エンドロールで、俳優の夏八木 勲さんの名前のところに、

「In memory of」と書いてあった。



「夏八木 勲さんを追悼して」とは、どういう意味?と思った。

だって、主人公のおじいさん役として、スクリーンに出てるやん?


映画パンフレットに、2013年5月永眠と書いてあった。

この作品が、遺作となったようである。

http://www.rbbtoday.com/article/2013/05/13/107810.html


小説の巻末の解説を書いた児玉清氏も、すでに亡くなっている。


「デビュー作である本書「永遠の0(ゼロ)」と出逢えたときの喜びは筆舌に尽くし難い。

それこそ嬉しいを何回重ねても足りないほど、清々しい感動で魂を浄化してくれる稀有な作家との出逢いに天を仰いで感謝の気持ちを表わしたものだ。

(中略)なんと美わしい心の持ち主なのか。

なんと美わしい心を描く見事な作家なのか。

なんと爽やかな心か。

涙の流れ落ちたあと、僕の心はきれいな水で洗われたかのごとく清々しさで満たされた。(以下略)」http://blog.goo.ne.jp/fi…/e/5e2f7afab3b48b4e49ebd3eb54c5d286
から引用☆


「あと、10年もすると、戦争を経験した世代の人々は、この世からいなくなってしまうのかもしれない。


現代に生きる人々の多くは「生きていること」は当然と思い、

また「自分は誰のために生きているのか?」と問う機会などもほとんどありません。

六十数年前、私たちの父母や祖父母の時代はそうではありませんでした。

明日をも知れない戦火の中、

すべての日本人が「私は誰のために生きているのか?」という問いを自らに向け続け、

自分と家族が「生きている」ことに深い感謝の気持ちを持っていました。

それは「不幸な時代」でもあります。

しかし、そういう問いや感謝の気持ちさえ忘れてしまいがちな現代という時代も、

ある意味「不幸な時代」かもしれません。

「永遠の0」を読んで下さった皆さんが、

「自分の人生は誰のためにあるのか」という思いに至り、

生きる喜びと素晴らしさに気付いてくれたなら、著者として、これほど嬉しいことはありません。」

(著者 百田尚樹氏からのメッセージ)


何のために生きるのか?

どういう「想い」で生きるのか?

誰のために生きるのか?を、

私は、これからもずっと自分に問いかけていきたい。

それが、自分にとっても「永遠」の0なのかもしれない。

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これから、一緒に愉しく生きていきませんか?(^^)/