Margaux Hemingway(1) | Woke Up In the Beautiful World

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女優・モデル・音楽…美しいものは世界を救う!!
主に海外モデルを中心に紹介します。

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Maragux Hemingway
マーゴ・ヘミングウェイ
1955年2月16日生まれ アメリカ出身
183cm

70~80年代にかけて活躍したモデル、マーゴ・ヘミングウェイを紹介します。
あの文豪アーネスト・ヘミングウェイを祖父に持ち、妹はアカデミー賞ノミネート経験を持つ女優マリエル・ヘミングウェイ、現在モデルとして活動するドリー・ヘミングウェイの叔母にあたるセレブ一族の一人であったマーゴですが、その人生は華やかな環境と反するようなものだったようです。例によってマーゴの特集は長くなるので、お気をつけて!また暗い記事になっちゃうなー。


オレゴン州ポートランドにて、ヘミングウェイの孫娘3姉妹の次女として生を受けた。そのマーゴという名前は<シャトー・マルゴーのように女性らしく魅力的に育つように>と、祖父アーネスト・ヘミングウェイが愛してやまないワインにちなんで名付けられたものである。しかしその祖父アーネストは1961年、マーゴが6歳のとき、猟銃自殺をした。
ハバナやキューバ、カリフォルニアなどで過ごすこともあったが、祖父の持つアイダホの農場で狩りやスキー、釣りや乗馬などに親しみながら幼少期を過ごしたマーゴ。彼女はアウトドアでトムボーイな女の子であったが、学業は決して優れていたわけではなかった。なぜならば彼女は失読症であり、そのおかげで特に数学や読書に困難が生じていたためである。高校も正式に卒業出来なかったうえに、祖父の著書もほとんど読まなかった(読めなかった)ほどであった。

私は(通常の人とは)脳の左右が反対で文字が判読できない病気だった。当時、人々はこの病気を知恵遅れとみなしていたの。だから子どもの頃はとても傷つけられたし、つらい思いをした』(―ヘミングウェイはなぜ死んだか<朝日ソノラマ出版>―より抜粋)

そして

『ヘミングウェイ家で育ち、文字が読めないということは、それはそれはひどいことなの。失読症でいると、文字を読んだり覚えることを怖がってしまうのよ。もう今は速く読めるようになったけれど』

また、マーゴが7歳のときに両親は生後間もない赤ちゃんを失っており、この頃から彼女はてんかんを発症するようになった。祖父アーネストの自殺、子どもの喪失、次女マーゴのてんかん、このときヘミングウェイ家は非常に厳しい状況にいたことが容易に推測されるだろう。そして、このてんかんは長年に渡って彼女を悩ませることにもなるのだった。

モデルへのきっかけは19歳の頃、広報の仕事をしていた際に出張でNYへ行ったときであった。そこで彼女は一人の男性と出会い、その4ヶ月後にはアイダホを離れて10歳以上も年の離れたエロールとNYで同棲を始め、ついには結婚した。180cmを超える身長に美しさを備えていたマーゴは、夫エロールの勧めによってモデルへの階段を踏み出していったのである。当時二人が暮らし始めたのは業界人ザッカリー・セリグの所有するアパートであり、このザッカリーは名家の出身であるマーゴに目をつけた。彼はElleやWWD誌、Vogueのファッションエディター、フォトグラファーのフランセスコ・スカヴロ、デザイナーのホルストンなどといった友人達にマーゴを紹介し、また大手化粧品メーカー<レブロン>の御曹司であるジョン・レヴソンの従兄弟であったザッカリーは、彼にマーゴを強力に推薦したのである。1975年にはファバージの広告塔にとしてファッションモデルとしては初の100万ドル契約を結んだ。この大口契約を掴んだヘミングウェイの孫娘モデルをメディアは放っておくわけはなく、WWD誌はすぐさま彼女の特集を組んだ。こうして彼の持つコネクションとマーケティング能力により、マーゴは異例の速さで瞬く間にトップモデルへとかけ上がったのだった。


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1975年にはトップモデルの証し、Time誌の表紙を“New Beauty”として飾り、9月のVogueでは“NYのスーパーモデル”として取り上げられた。輝かしく幕を上げたキャリアに比例するように、有名になるモデルは業界の有名人と知り合う機会が増えていくものであり、マーゴもまた例外ではなかった。パーティーやクラブが好きで顔を出すことが多かったが、そこで出会う各界の著名人、ロック歌手やハリウッドスター、デザイナー達は本物のセレブリティであり、自分は親の名字を持った単なる田舎娘にすぎないという劣等感を感じさせられるばかりであったという。そういった生活の中にいたマーゴは、この頃アルコールやドラッグを覚えた。この頃から始まるアルコール癖が後に彼女を苦しめることになるのであった。

翌年には多くのモデル達同様に女優業に進出。デビュー作となった『Lipstick』では、妹役に実妹のマリエル・ヘミングウェイを自ら提案し、共演した。しかしこの映画で評価を受けたのはマーゴではなくマリエルであった。
9月にはコスモポリタン、11月にはVogueの表紙に登場したものの、母親から妹マリエルと比較されることがしばしばあったマーゴにとって、ヘミングウェイ家の外でさえも妹と比べらることは耐え難い思いであった。その後も出演作はB級作品ばかりで恵まれず、一方のマリエルは名監督ウディ・アレンによる作品でアカデミー助演女優賞にノミネートされるほどに差をつけられてしまっていた。姉妹で一緒にいることも少なくなったといい、マーゴはますます深酒に浸っていった。

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『少なくともヘミングウェイ一族の75%はアルコール依存を経験してる』と言う従姉妹のロリアン・ヘミングウェイの言葉通り、マーゴの姉のジョーン・ヘミングウェイもアルコール依存であり、16歳になるとLSDに手を出し、双極性障害のために精神病院に入院した。『リチウムと抗うつ剤を使っていて、両方ともすごく効いたわ。それに私はアルコール依存症なの。タバコを辞めるために、半年前に再び赤ワインを飲み始めてしまったわ。冗談なんかじゃないのよ。結局リハビリセンターに行くことになったの。』と姉のジョーンは後に語っている。
姉のジョーンが患っていたこの双極性障害は、躁鬱病とも言われる躁状態と鬱状態を繰り返す精神疾患であり、有名なところでは女優ヴィヴィアン・リーやキャプシーヌらも双極性障害であった。そして祖父アーネスト・ヘミングウェイやその兄弟姉妹も同じ病にかかっており、どちらも自殺によってその生涯を閉じている。
マーゴもまた、同じ病に苦しんでいた。