スタム、ダリアに続く回顧録シリーズ。今回は2008年のi-Dと2009年8月のW、2009年12月のUS Vogue、2010年1月のBritish Vogueより、婚約もして公私ともに順調なララ・ストーン回顧録を作ってみました。
ほとんどの場合これは“一晩の成功”と呼ばれる。
12歳のときに、彼女は小さなオランダの故郷から家族と休暇でパリに来た。そこでモデルエージェントの妻から地下鉄でスカウトを受けたのだ。
『3年半前、私はほとんど終わる準備が出来ていた。』というストーンは現在25歳。
丸めた背中にルーズなブラックのTシャツを着て、レギンスとレザーに身を包み、NYのパークアベニューアーモリーのベンチに座る。
『典型的なイライラした10代だった。』
そして興味は『タバコ。』
エリートのモデルアパートに数人のモデル達と共に住むことになったララだったが、
『寝る前に何度も何度も泣いたものよ。1日に15ものキャスティングに行って毎回何度も何度も同じ人達に会うの。それで彼らは私達がわからないと思ってフランス語で嫌味を言うんだから。』
それでもクラブでモデル達と一緒にいるためにお金を払うような、50代の男性と一緒にいることもあったそうだ。
『有名な俳優やロックスター、50代の男の人達と会ったわ。みんな16歳の女の子だったけどね。』
タダでお酒を飲むこともでき、楽しかったから気にしていなかったそうだ。
10代後半は東京やバルセロナでの仕事が主だったと彼女は思い起こす。
しかし次第にそれらの仕事も徐々に減っていった―絶望的な瞬間だった。
大学に進みながらモデルを続けていたララは最後の悪あがきとして、また当時のボーイフレンドに事務所を変えるよう勧められたこともあり、IMGに移った。
22歳、行き詰っていた彼女はIMGの若いエージェントDerek Dayleyに出逢い、彼はララの型破りなルックスを見抜いた。
『彼女は“ブロンドの新人”っていうような決まりきった形で見られていたけど、僕は彼女に違う何かを見たんだ。わかる通り、彼女は興味深いよね、美しさのひとつだよ。』
そしてIMGは積極的に“フレッシュ・フェイス”として売り出していったのだ。
『パリではみんなが私を知ってるの。ずっとパリにいたし、いつもキャスティングの度に訪れていたから。』
IMGに移った彼女だったが、まさしく昔と同じような状態が続いた。
気だるげで、隙っ歯の覗いた笑顔と官能的な骨格はそのままだったが、以前と変わらずヨーロッパのカタログ中心の仕事をしていた。メジャーなランウェイやエディトリアルの仕事はなかった。
リカルド・ティッシの目に留まるまでは。
『自分のスタジオから出て他の部屋に行こうとして、廊下でララとすれ違ったんだ。初めてララを見たときだったね。思わず彼女を引き止めたよ。』
とティッシは言う。
『彼女はものすごくシャイだったんだ。それで彼女にいくつか質問して、ポラロイドを撮ってエージェントに言ったよ“ララを専属で使いたいんだけど”って。恋に落ちたね。』
そしてリカルド・ティッシを通して今後ご贔屓になっていくフランス版Vogueとの仕事にも恵まれた。
『リカルドに会いに行ったとき、彼はカリーヌ(フランス版Vogueの編集長)と電話で話していて、こう言ってたわ。
“ちょっと待って、君に会わせたい子がいるんだ”って。
それでカリーヌと会って、翌日には一緒に仕事をしたの。それから彼女と仕事をするようになったのよ。
彼女は素晴らしい人よ。とても良い人で少しクレイジーだけど、そこが良いところ。常に楽しいし、私のお気に入りの人ね。』
ララを3つのショーのラストで起用したイザベル・マランはララをこう例える
『戦士とブリジッド・バルドーをミックスさせたような、宇宙人のような存在。』
マート・アラス&マーカス・ピゴーにとっての彼女はこうだ。
『普通僕らが撮影するときっていうのは、あるキャラクターを創り上げて撮るんだ。
でもララの素晴らしいところは、彼女自身が既に強いキャラクターであるということ。彼女は僕達により良い写真を撮らせてくれるんだよ。』
ジバンシィの<再デビュー>以来、何度も仕事を共にしたブルース・ウェーバーは言う
『僕にとってララはマーロン・ブランドのようで、セロニアス・モンクのようでありロバート・ミッチャムなんだ。彼女はビッグだよ。そしてワルくて美しい。』
しかし本人は気付かない、
『ビッグなんかじゃない。少しワルいけど自分を綺麗だなんて思ったことないの。』